10月、諸皇子と舟師(水軍)を帥いて東征に出発。目指すは中洲(大和国)である。進んで行くと潮の流れの速い速吸の門で船が前に進めなくなった。難儀していると国神の珍彦と出会い、これを舟に引き入れて海導者(水先案内)とすることで無事に筑紫国の菟狭(『古事記』では豊国の宇沙)へ上陸することが出来た。珍彦は椎根津彦(『古事記』では槁根津日子)という名を与えられた。菟狭からさらに崗水門、安芸国を経た彦火火出見尊は、乙卯年3月吉備国に着き、三年間軍兵を整えた。
試練『神武天皇東征之図』
八咫烏に導かれる神武天皇。冒頭掲載画像の全図である
戊午年2月、皇師(官軍、彦火火出見尊達)は吉備国より東へ向かい難波の碕に至った。3月に河内国草香邑の青雲白肩津楯津で泊り、楯津(東大阪市日下)に上陸した。この記述は当時の地形である河内湖の存在を示唆している。そして龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めなかった。そこで東へ軍を向けて胆駒山を経て中洲(大和国)へ入ろうとし、この地を支配する長髄彦と孔舎衛坂で戦った。戦いに利なく、長兄の五瀬命は流れ矢に当たって負傷した。そして日の神の子孫の自分達が日に向かって(東に向かって)戦うことは天の意思に逆らうことだと悟ることとなった。彦火火出見尊は兵を集めて草香津まで退き、再び海路南へと向かった。
5月、五瀬命の矢傷が悪化し茅渟(和歌山市近辺)で亡くなった。船が熊野に差し掛かると海は大嵐になり、高波に船は木の葉のように揉まれ海は荒れ狂った。進軍が阻まれることに憤慨した次兄、三兄の稲飯命と三毛入野命が「私の母は海神である」といい自ら海に入った。すると波も静かになり、嵐は去った。稲飯命には新羅の王の祖であったという記録がある。
熊野に上陸したが、土地の神の毒気を受け軍衆は倒れた。そこへ熊野高倉下が現れ、霊夢を見たと称して天神から授かった神剣?霊(ふつのみたま)を奉った。これはかつて武甕槌神が所有していた剣である。剣の霊力により軍衆は起き上がることができた。
進軍を再開したが、軍衆は山をいくつも越えた所で道が分からなくなってしまった。すると天照大神が夢に現れて八咫烏を遣わし、その案内で軍勢は菟田下県に行着くことが出来た。
8月、菟田県を支配する兄猾を討伐し、弟猾が恭順。続いて吉野を巡行して井光、磐排別之子、苞苴担之子と出会った。
9月、高倉山へ登り、周囲を見渡してみると四方要所は賊に囲まれていた。その夜に夢に天神が現れた。お告げ通りに多くの土器を作り、丹生の川上で天神地祇を祀った。この時に天の香久山から土を持ち帰った椎根津彦と弟猾に功があった。
決戦月岡芳年『大日本名将鑑』より「神武天皇」。神武天皇の弓の先に止まった金鵄が光を放ち、長髄彦軍の兵の目をくらませている。
10月、国見丘に八十梟帥を討ち、さらに多くの賊達を偽りの宴会で誅殺した。11月、磯城を支配する兄磯城を忍坂と墨坂から討伐し、弟磯城が恭順。12月、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てなかった。すると急に黒雲が空を覆い、辺りも暗くなり、叩き付けるように雹が降って来た。そして一筋の光が差したかと思うと、金色の霊鵄が現れ、彦火火出見尊の弓先へ止まり、稲光のような瑞光を発した。長髄彦の軍は眩しくて目も開けられずに降参してしまった。
それでも長髄彦は恭順しなかった。彦火火出見尊が天神の子であることを疑ったためである。長髄彦は主君の饒速日尊が持つ神器である天羽々矢と?靫(かちゆき)を見せた。それは本物であり、彦火火出見尊も自分の神器を見せた。これも本物である。長髄彦は彦火火出見尊を天神の子と認めたが、それでも屈服しなかった。そこに饒速日尊が現れ降参するよう長髄彦を説得したが、改める気持ちがない長髄彦は饒速日尊に誅殺されることなった。
己未年2月、彦火火出見尊は精鋭を選んで高尾張などの土蜘蛛を討ち破り、そこを葛城と改めた。また前年に兄磯城を破った場所を磐余と改めた。3月、中洲(大和国)の平定が終わったため、畝傍山のホトリに全軍を招集し、奠都の詔を高らかに宣言した(八紘為宇)。そして畝傍山の東南橿原の地に宮殿を造らせた。そこが今の橿原神宮である。庚申年9月、事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命を正妃とした。 辛酉年1月1日、橿原宮で天皇に即位して初代天皇となり、正妃を皇后とした。即位日はグレゴリオ暦(西暦)では紀元前660年2月11日であり、現在の日本の「建国記念の日」(旧・紀元節)となっている。 即位2年2月2日、大業を成し遂げることに尽くした人々の功を定め、賞を行った。道臣命は築坂邑
即位
即位4年2月23日、天下を平定し終わり、海内無事である旨を詔し、鳥見山中に皇祖天神を祀った。即位31年4月1日、巡幸して腋上の?間丘に登り、蜻蛉の臀?(あきつ の となめ。トンボの交尾する様)に似ていることから、その地を秋津洲と命名した。
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称され、「神武天皇(じんむてんのう)」と後に諡された。 『古事記』神武天皇と比売多多良伊須気余理比売命までの系譜(『古事記』による) 『日本書紀』
系譜
系図
天照大神素戔嗚尊
(記では天之冬衣神)
天忍穂耳尊大己貴神
瓊瓊杵尊事代主神
火闌降命 火折尊鴨王
(神武と同世代)
??草葺不合尊(子孫は賀茂氏・三輪氏)
天曽利命吾平津媛 1 神武天皇 媛蹈鞴五十鈴媛命
(子孫は隼人、坂合部氏など) 手研耳命神八井耳命2 綏靖天皇
(子孫は多氏)