磁石_(お笑いコンビ)
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そしてラストイヤーとなる2015年は準々決勝進出に終わり[5]、連続敗者復活戦出場記録を悪い形で止めてしまった。

THE MANZAI 2011では認定漫才師50組に選ばれる。本戦サーキットでは2回の出場でそれぞれ3位・2位と好成績を残し、サーキットランキング2位で決勝進出を決める[6]。各サーキット会場では上位3組のみ発表されるが、2回の出場でともに上位3組に入ったのは磁石の他にはパンクブーブースリムクラブのみ。決勝ではAブロックに入ったものの、ナイツに敗れてブロック2位で敗退した。

THE MANZAI 2012においても認定漫才師50組に選ばれ[7]、サーキットランキング4位で決勝進出。決勝ではBブロックで千鳥に敗れ4位だったが、審査員のオール巨人オール阪神・巨人)にネタを褒められた上で「辞めたらあかん」と言われる。これは、2人を紹介するVTRの中での「(佐々木に)子供が出来たから(漫才を)辞めようと言われたことがあった」という永沢の言葉を受けたもので、後にオール巨人はブログで「磁石君は本当に良い漫才をやってましたし、間違いなくトップ集団で走ってるコンビなのでもったいないし、思わず口から出てしまいました…もっと上手く言えれば良かったんですけど」と当時の気持ちを表現した。その言葉に永沢はここでも涙ぐんでいた。

THE MANZAI 2013では認定漫才師に選ばれる[8]もサーキットランキング16位でワイルドカード決定戦止まりだった。THE MANZAI 2014ではサーキットランキング4位で決勝返り咲きを果たした[9]が、Aブロックで3位敗退だった。

事務所の先輩である小沢一敬スピードワゴン)は磁石の漫才師としての才能を高く買っており、自身のTwitterで「再びネタ番組ブームが来たら絶対に出てほしい漫才師」「(THE MANZAI 2012の件を受けて)もう辞めるなんて考えないで」と語っている。

2018年4月にYouTubeにて自身のチャンネル「磁石 Official channel」を開設。過去のライブネタのほか、企画物の動画も投稿している。

2019年から漫才協会に所属[10]

2019年5月7日からnoteにて磁石の学級会を運営している[11]

ネタ

主に
漫才。ネタの始めに佐々木が「僕が広島県出身で」永沢が「僕が秋田県代表(出身)で」と言い始める。また、永沢が「僕がもう27で、彼がもう28になりまして」と、年齢のように靴のサイズをいうツカミや、永沢「Nと(両腕で『N』の字を作る)」佐々木「Sで(両腕で『S』の字を作る)」2人「ピタッ!(体を寄せ合う)」というツカミもある。

エンタの神様』(日本テレビ)出演時は全てコントを披露した。現在でも単独ライブでは漫才だけでなく、コントも披露している。

「あの世へ猫まっしぐら」「お婆ちゃん、荷物重い? でも家族からしたらお婆ちゃんがお荷物なんだよ」などシュールでブラックなボケも多い(磁石ネタbot)(磁石(芸人)bot)。

佐々木のツッコミとして、2010年頃からブスを題材にしたものがある。「ブスは待つ」はTHE MANZAI 2012の決勝の舞台でも使われ、オール巨人が「磁石くん、辞めたらあかん。素晴らしいよ。ブスは待つ、心に刻みました」というほどである。その他、「ブスは出す」「ブスは裏切らない」などもある。

一時期、ネタを締めるときに佐々木が「いい加減にしね(「死ね」という意味ではなく、「しろ」という意味の広島の方言)」と言っていたことがある。

話が本筋からそれた時に永沢が「Aの話はどこへ行ったんだよ」と言い、佐々木がさらに強く「B(本筋)の話はどこへ行ったんだよ」というくだりが「プレミア」の頃から使用されている。

エピソード
佐々木

所持金がいつも少なく、小銭しか持っていないことも多い。所持金500円で後輩の前に登場することがほとんどで、「ワンコイン兄さん」という異名の持ち主でもある。2020年に抜き打ちで所持金を調べたら、3,000円持っていたので「スリーペーパー兄さん(永沢談)」になった。「
財布を落としたら全てを失ってしまうから」という理由で財布やクレジットカード、更にはカバンも持っておらず最近では「社会人としてカバンを持っていないのはどうなのか」という考えから文明堂の紙袋を持ち歩いている[12]

急性虫垂炎で入院した相方・永沢の見舞いに行った時、名簿の「患者との関係」の欄に「相方」と書いて受付でダダ滑りした[注釈 1]。そして次に来たちゅうえい流れ星☆)はその欄に「ライバル」と記し、取り次ぎの看護師から「永沢さん、ライバルが来てますけど…」と言われた。

高校時代に同級生とコンビ『年中無休』(当時の佐々木はツッコミ担当)を組み、学園祭でネタをやった他にローカルラジオへ出演。呉市内の老人ホームでもコンビでコントを披露したことがあり、後述の件は地方紙でも取り上げられた[1]。年中無休は学内でも有名になり、学園祭では学校長が聴くほどの人気で会場の教室を埋め尽くしたほどであった。この活動の実績を肩書きに相方と早稲田大学の推薦入試を受けるも揃って不合格。高校卒業後、相方は他大学に進学して進路が別々になったため解散した[1]。またこの年中無休のライブには、アンガールズが見に来たこともあったという[2]

に憧れており、その気持ちが高じて嵐のメンバーになった夢を見たこともある[注釈 2]。夢から目覚めた時は「あぁ自分は嵐じゃない…。磁石だ」とひどく落胆した。

自身のトークライブ「フタリシャベリ」の中で、永沢にTwitterを始めさせられた[13]。機械音痴でエアコンのリモコンさえも使いこなせない(永沢談)佐々木だが、現在では他の芸人とリプライを交わしたりとなかなか使いこなせている模様。初めてのTweetは「金出せじしゃくの佐々木です」だった。

永沢が結成した、芸歴10年前後の吹きだまり芸人を集めたユニット“FKD(吹きだまり)48”の総選挙では永沢、瀧上伸一郎(流れ星☆)に次ぐ第3位を獲得。FKD48ではクール担当として活躍していたが、11月のトークライブを以てのんびり担当になった。所属チームはチームK、担当カラーは青色。

2012年4月5日放送の『お笑いジャッジポイント』(日本テレビ)では、先輩の井戸田潤(スピードワゴン)の持ちネタであるハンバーグ師匠の弟子・ミートボールボーイに扮し、旗を立てたミートボールを象った帽子(?)をかぶったスタイルでネタの後に「ミートボ―ル!!」と叫ぶアメリカンジョーク風漫談や、ハンバーグ師匠とのハンバーグネタを織り込んだ掛け合いをやった。ネタ後のトークでは 「正直言うと漫才やりたい」とぼやいたほか、審査員によるダメ出しテロップで「(肉なのに)笑いがミートしてない」「パワハラだ」「佐々木がかわいそう」などとイジられていた[14]。なおミートボールボーイは、中日ドラゴンズ祖父江大輔に受け継がれており、佐々木とは異なり祖父江は喜んで演じている[15]

2011年に一般女性と結婚2012年に長男の誕生が自身の単独ライブ「レインボー」にて発表された。これはここで発表されるまで永沢さえも知らなかったそうで、永沢はその後ライブ中のネタで相方に「結婚できると思ってんのぉ??」とボケをかましていたことを気まずく思ったらしい。

『THE MANZAI 2014』のコンビ紹介の際には家族を養うためにアルバイトを3つ掛け持ちしていることがに明らかにされ、佐々木は「コンスタントに月々35万円入ってくれば」と語っていた[注釈 3]

2016年12月22日のK-PROライブ「漫才5・コント5」のエンディングにて離婚を発表。なお、離婚の理由は佐々木本人のせいではないらしい。

2017年4月22日の単独ライブ「cherry」のエンディングで、実は2007年ごろにも一度結婚→離婚をしていたのをカミングアウトした(つまり2011年の結婚時には既にバツ1、現在はバツ2になる)。入籍からしばらくして当時の所属事務所の三木プロダクションに結婚報告を行い、事務所が発表準備を進めているうちに離婚してしまったため発表するタイミングを逸してしまったという。前回の結婚生活では先輩との付き合いなどがあって妻から「私とどっちが大事なの?」などと言われ、それで夫婦仲が冷えていってスピード離婚に至ったという。

2020年9月現在、3度目の結婚相手との間に双子を含む3人の子供がいる。

「ピンチ君」という配信用の別名を持っている。

永沢

レーシック手術を受けており、現在は伊達眼鏡である(自身のブログの記事 『ご報告する永沢』 より)。

「大フィーバー」で披露された「ザ・ナカムラブラザーズ」のネタや「プレミア」で披露された「アライブ」のように、ネタ中で歌を歌う事も多い[16]

アルコールにとても弱い。単独DVD「カクヘン」で焼酎水割りを飲まされるが、通常の1杯を飲むのに苦労した上、1杯しか飲んでいないにも関わらずその後まっすぐ立つことすらできないほど酔っ払った。この状態で行われた漫才(『酔漫』と称される)はある意味凄まじい内容となっている。その後の「大フィーバー」や「プレミア」でも「酔ってチャレンジ」が企画されたが、「プレミア」では泥酔して嘔吐してしまった[17]
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