硬性憲法
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風雨に相当する状況の変化への対策として、改正が必要になるものである。しかし、硬性憲法の場合、必要とされる多数を得るのは難しい。改正に対する反対派は、手の込んだ手続きという城壁の向こうで守りを固め[注釈 7]、コミュニティの安全に必要な変更を避けることに成功するだろう。結果として、安全のための規定が危険なものとなる[19]

硬性憲法では、緊急のため拡大解釈(Extensive Interpretation)が必要であり、それは実際、言い抜けに等しいようなものとなる。それは衆望には軽い衝撃を与えるだろう。そのような拡大解釈が必要であるため、解釈権が誰にゆだねられるかが重要である。解釈はイギリス、アメリカでは法廷にゆだねられ、ローマ系では立法府にゆだねられる。スイスの最高裁は(19世紀に)純粋に政治的な事項(purely political cases)であるとして判決を拒否したことがある[20]

歴史の経験が示すところによれば、世論(public opinion)[注釈 8]が強く立法の先導する方向を好むならば、法廷もそれを受けて、立法の結果を有効とする。このような状況は、新しい行政課題において発生しやすい。そこに危険はあるが、世論と確立した伝統だけが危険を防ぐ。コンスティチューションが硬性憲法であるならば、フレキシビリティは裁判官の心(the minds of the Judges)から、補充しなければならない[21][22]
デモクラシー(民主主義)と硬性憲法

ブライスによれば、フレキシブル・コンスティチューションの場合、相応の知識が必要であるため、直接に関係するのは、支配階級のみとなる。一方、硬性憲法の平明さは、行政の乱用から人々を守ると、思わせるものである。デモクラシーの原理では、多数派が理解、関与すべきであり、一文書となった憲法は理解しやすく、平均的な人が理解できる。すなわち、硬性憲法はデモクラシーにおいて利点が大きい。硬性憲法は、多数の人々が権利を守ろうとして現れることもある[23]
両制度の前途

ブライスによれば、硬性憲法は、既にある国では存続すると予想される。一方、フレキシブル・コンスティチューションから硬性憲法に移行する可能性については、連邦が形成される際には、硬性憲法が作られることが予想される[24]。もしイギリスが連邦となる場合(現在の英連邦がアメリカ合衆国のようになるか、あるいはスコットランドなどが連邦の州となる場合)には、硬性憲法が作られ、イギリスの議会の権限が弱まり、(主権の)一部については連邦に従うことになると予測された[25][注釈 9]

新しい国でフレキシブル・コンスティチューションが生まれるのは、一つは、フレキシブル・コンスティチューションを持つ国が分裂するときで、かつ、それに執着するとき。あるいは革命などで、自然に政府ができあがるときである[26]
ダイシーの考察

アルバート・ヴェン・ダイシー以降、改正規定に着目した用法が広まった[27]。ダイシーとブライスは同僚であり、友人であった[注釈 10]。ダイシーの次の文が知られている[28][29][30]。「フレキシブル・コンスティチューションの下では、あらゆる法が、一つの機関によって同じやり方で変更できる[注釈 11]」「リジッド・コンスティチューションの下では、一般に憲法あるいは基本法として知られる特定の法が、通常の法と同じやり方では変更できない[注釈 12][注釈 13]

また、ダイシーは、「英国の議会主権の本質を説明する目的で、アメリカ合衆国を代表とする連邦制国家と比較する」として、「連邦制は保守主義を生み出しがちである」、「連邦制の場合には硬性憲法である必要がある」、「連邦制の本質的な硬質性は、国民の心に、憲法中の規定は不変であり、いわば神聖な(sacred)ものであるという考え方を刻印する[注釈 14]」「連邦憲法中の方針信条(principle)は、しだいに迷信的な崇敬を集め、学問上の理論とは異なって、変更や批判から保護されるようになる[注釈 15]」と述べている[28][注釈 16]
通説への批判

アレッサンドロ・パーチェによれば、通説による区別、すなわち、「硬性憲法は、軟性憲法と異なり、それが改正されるためには特別な改正手続を必要とする」という区別は、ダイシーがブライスの思考を誤解した結果である[5]。パーチェによれば、ダイシーは1814年のフランスの憲章等を軟性憲法としているが、その公布のために血が流されたこと等を考慮すれば誤りである。ダイシーは、オルレアン朝では、憲章の中に立法権の限界を定めた文言はなく、ゆえにイギリスと同じく議会が主権を持っていたことがイギリス人男性には明らかであるとした[注釈 17]。パーチェによれば、これはダイシーの中のイギリス・イデオロギー文脈に起因する誤りである[5]

石澤によれば、改正手続きのみでの区別が通説となった原因は、ダイシー自身がブライスの論述を誤解したためではないとされる[28]

浅井清によれば、改正手続きの規定によって軟性憲法と硬性憲法とに分類されるがごとく、普通には理解されているが、それは極めて皮相的な解釈であり、ブライスの学説の真意はそれ以外の点(軟性憲法の弾力性等)にある、とされる[4]
用語について
別の表現

Voermansによれば、硬性憲法(リジッドな憲法)(英語: rigid constitution)と軟性憲法(フレキシブルな憲法)(英語: flexible constitution)の区別は、エントレンチ英語: entrench)とノン・エントレンチの区別とも言われ、両者にニュアンスの違いはあるが、本質的には同じ事とされている[31]。しかし、エントレンチは条項毎の属性となり得る。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在、憲法に関連した英語の文献について、リジッドと表記されているもの、エントレンチと表記されているもの、いずれも多数見つけることができる。[要出典]
視点による違い

アメリカ合衆国憲法についての、視点による論述の違いを例示する。

アメリカ合衆国憲法には多数の修正が存在する。このため、「アメリカ憲法が二〇〇年以上も続いたのは、弾力性がある『生きた憲法』だったからだ」「コモンロー的憲法は生ける憲法である」と述べている文献が存在する[32]一方で、1905年の論述ではあるが「アメリカ合衆国憲法は、南北戦争によるものを除き1804年以降は変更がなく、実質的には変更不可能で、リジッドである事実に疑問の余地はない」と主張する文献も存在する。[33]

アメリカ合衆国憲法については、その修正方法(従来の規定を残したまま修正内容を修正条項として付け足していく)を考慮して、各論述を読み取る必要がある。
日本における用法

日本においても、前述のごとく、ある憲法を硬性憲法とするか軟性憲法とするかの区分の基準は一定していない[34]。また、ある憲法の一部に堅固に保護された条項がある場合に、それを分けて論述するかどうかも、一定していない。日本の義務教育や入試問題においては、対応する教科書の記載が基準となっている。

一般には、その改正にあたり通常の法律の立法手続よりも厳格な手続を必要とする成文憲法が、硬性憲法とされ、それ以外が軟性憲法とされる。またある論述では、硬性憲法か軟性憲法かの区別は、あくまでもそれぞれの国家における立法手続、法律の改正手続に比べて「形式的に」厳格な手続が要求されるか否かという点で区別される、とされている。

これに対して、「日本国憲法やアメリカ合衆国憲法など(主に成文憲法)は硬性憲法に分類される。一方、イギリス不文憲法である)は軟性憲法であるほか、フランスドイツなどヨーロッパ諸国は硬性憲法でも実質的に軟性である」とする論述がある。

しかし、アメリカ合衆国憲法については前述のように様々な意見が存在する。またドイツ連邦共和国基本法には永久条項が存在し、これについては、他のどの憲法とどのように比較しても硬性憲法と言える。
意義

日本における通説は次のとおりである。憲法には安定性が求められる一方、変化への適応も必要であり、この両者に応えるために硬性憲法という技術が考案された。あまりに改正が難しいと違憲的な運用の恐れが高まり、逆に改正がたやすいと憲法を保障できない[35]
20世紀の日本における諸説

美濃部達吉の1926年の著書によれば、次の学説が示されている。


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