東京市編入直前の大字を以下に列挙する。
大字名は東京市監査局都市計画課編纂・発行、『東京市域拡張史 千歳村・砧村編入』、1937年5月6日、245頁による。東京市編入に当たり、「砧村大字××」は「東京市世田谷区××町」に変更された。後の住居表示実施により、当時の大字界と2010年現在の町界とは一致しなくなっているが、カッコ内に現在のおおよその町名を示す。
喜多見(現喜多見)
喜多見成城〈大字喜多見より分離〉(最北部を除く成城)
宇奈根(現宇奈根)
大蔵(現大蔵、砧、鎌田)
岡本(現岡本および砧公園の大部分)
鎌田(当時の大字大蔵の中に点在し、現砧、大蔵、鎌田、玉川、砧公園の各一部)
久地〈1912年に神奈川県橘樹郡高津村大字久地の一部より編入〉(現鎌田一・二丁目の一部)
諏訪河原〈1912年に神奈川県橘樹郡高津村大字諏訪河原の一部より編入〉(現鎌田一丁目の一部)
出身・ゆかりのある人物
利光鶴松(衆議院議員、小田原急行鉄道、鬼怒川水力電気各社長)[4] - 砧村喜多見に居住した[4]。
広部清一郎(広部鉱業社長、玉川農園経営主) - 砧村鎌田に居住した。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e 東京市監査局都市計画課編纂・発行、『東京市域拡張史 千歳村・砧村編入』、1937年5月6日、3頁
^ 「砧村役場(世田谷區喜多見町字下野田二、七三〇番地ノ二所在)」(東京市監査局都市計画課編纂、239頁より)
^ a b c 東京都公文書館、「35区の人口 1908年?1945年
神代村千歳村
狛江村東京市世田谷区
砧村
神奈川県稲田町神奈川県高津町
表
話