砂の器
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この経験が、のちに本作の着想に生かされたと推定されている[3]。このエッセイで書かれた旅は、著者が父・峯太郎の故郷・鳥取県日南町を初めて訪問した1948年1月に行われたとみられ[4]、亀嵩の地名を著者が知ったのはこの時期のことと推測されている[5]

本作を担当した読売新聞の編集者・山村亀二郎の回想によれば、本作はズーズー弁超音波・犯人および刑事の心理を3本の柱として連載が始められた[6]。超音波については實吉純一の著書『電気音響工学』(1957年)が参考にされ、實吉の当時勤務していた東京工業大学を取材で訪問した[6]

小説中の登場人物の出雲地方の方言の記述に関しては、正確を期すため、読売新聞松江支局の依頼を通じて、亀嵩地域の方言の話者による校正が行われた。その際、亀嵩算盤合名会社の代表社員・若槻健吉も協力したが、この縁から、著者と若槻家の交流が始まった。亀嵩の記念碑への清張による文字の揮毫は、若槻家の客間で行われ、健吉の息子・慎治が上京した際には著者がひいきの店を案内するなど、付き合いが続いた[7]。1992年に著者が死去した際には、亀嵩で慰霊祭が行われた[8]

カッパ・ノベルス版刊行の約2年後『宝石』に掲載された著者の創作ノートには「いま、超音波で手術ができるわけです。メスの代りに超音波によって切るんですが、メスでは届かないところでも、超音波だと届く。順天堂でやっていますが、そういうことから考えれば、殺人だってできるんじゃないか、というのが一つの発想。それから「ヌーボー・グループ」と書いてあるけれども、いわゆる「ヌーヴェルヴァーグ」の波に乗って、いろいろと景気の良い若い人たちが出てきたでしょう、今までの芸術を一切否定するとか...そういう人たちをちょっとカリカチュアライズして書いた」[9]と記されている。このうち超音波発生器の設定に関しては、映画では採用されず、以降の映像化作品でも省略されている。

小説中の「ヌーボー・グループ」のモデルに関して、音楽評論家の小沼純一は、1951年に結成された実験工房(作曲家の武満徹などが参加)と推定している[10]。また、文芸評論家の郷原宏は、1958年頃から運動の始まった若い日本の会(作曲家の黛敏郎などが参加。正式な創立集会は1960年5月)がモデルと推定している[11]

小説ラストの羽田空港の場面に関しては、場所の設定のため、編集者の山村と挿絵の朝倉摂が、3日にわたって空港を訪れ、取材を行った[6][12]

カッパ・ノベルス版の刊行後、大井廣介は「社会悪に持って行かず、あえて推理小説を世に問おうとした気組みに、好意を持った」[13]中島河太郎は「最後の殺人のメカニズムというのは、具合が悪い(中略)果して使用していいトリックかどうか疑問ですね」[14]と評している。

手がかりが「東北訛りのカメダ」という手法は、後に映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』にて、本作のオマージュとして使用された[15]

記念碑


湯野神社大鳥居横の記念碑記念碑正面


小説の一節が刻まれた記念碑裏面記念碑脇の叙事碑

本作では島根県奥出雲町(発表当時は仁多町)にある、亀嵩の地名とズーズー弁が鍵を握る設定であり、この地方が広く知られるきっかけとなったことから、亀嵩駅の東約3キロ、湯野神社大鳥居横に砂の器記念碑が建立され、1983年10月23日に除幕式が行われた。建立については亀嵩観光文化協会、記念碑建設実行委員会が中心となり、経費は地域住民からの寄付と地域外からの募金で賄われた[16]

記念碑正面には「小説 砂の器 舞台の地」と刻まれ、記念碑裏側には、小説の一節(第六章4節からの引用)が刻まれている。また記念碑脇の叙事碑の末尾には「早春に東北訛の奥出雲」と刻まれている。 出雲三成の駅から四キロも行くと、亀嵩の駅になる。道はここで二又になり、線路沿いについている道は横田という所に出るのだと、運転の署員は話した。

ジープは川に沿って山峡にはいっていく。この川は途中で二つに分かれて、今度は亀嵩川という名になるのだった。亀嵩の駅から亀嵩の集落はまだ四キロぐらいはあった。途中には、ほとんど家らしいものはない。亀嵩の集落にはいると、思ったより大きな、古い町並みになっていた。

ここは算盤の名産地だと署長が説明したが、事実、町を通っていると、その算盤の部分品を家内工業で造っている家が多かった。

?  小説「砂の器」より
関連項目

岩城町(現・由利本荘市)…第二章に登場。小説内では、羽後亀田駅に加え、衣川など、周辺一帯が描写されている。

秋田ロケット実験場…第二章で言及される「T大のロケット研究所」のモデル。

国立国語研究所…第六章に登場。本作連載当時は東京・千代田区に所在した[注 2]

雲伯方言日本語の方言

山中町(現・加賀市)…小説内において、犯人の出身地とされている[注 3]

大阪大空襲3月14日の空襲が小説内の設定として言及されている。

パラボラアンテナツイーター電波法…小説内の鍵となる設定であるが、いずれも映画版以降の映像化作品では省略されている。

音響兵器

翻訳

『Inspector Imanishi Investigates』(
英語: Soho Crime)

『Le vase de sable』(フランス語: Philippe Picquier)

『Come sabbia tra le dita』(イタリア語: Il Giallo Mondadori)

『砂器』(中国語: 南海出版公司など)

『????』(朝鮮語: ?????(東西文化社))

映画

砂の器
The Castle of Sand
監督
野村芳太郎
脚本橋本忍
山田洋次
製作橋本忍
佐藤正之
三嶋与四治
川鍋兼男(企画)
出演者丹波哲郎
加藤剛
森田健作
島田陽子
山口果林
加藤嘉
春田和秀
佐分利信
緒形拳
渥美清
笠智衆
音楽芥川也寸志
菅野光亮
撮影川又昂
編集太田和夫
配給松竹
公開 1974年10月19日
上映時間143分
製作国 日本
言語日本語
配給収入7億円
1974年邦画配給収入3位[18]
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1974年製作[19]松竹株式会社・橋本プロダクション第1回提携作品。松本清張原作の映画の中でも、特に傑作として高く評価されてきた作品[注 4]


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