石高
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^ a b c d 石高の数字は以下の文献による。

大野瑞男, 「国絵図・郷帳の国郡石高」, 『白山史学』, 23号, pp. 1?50 (1987年).
「日本国知行高之覚」では下総国の石高が空欄であるが、総石高2217万1689石6斗7升4合から旧国別石高を減じることで25万0131石と求まり、この値を下総国の慶長郷帳石高として採用した。これは寛永巡見使国絵図記載の下総国石高25万0140石余とほぼ一致する。
^ 寛永十年巡見使国絵図高は、以下の文献による。

川村博忠, 『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房, 2002年.
また尾張、播磨、小豆島の石高は佐賀県立図書館の蓮池文庫の「日本総図」などにより補った。川村博忠によると、この日本総図は寛永巡見使国絵図をもとに寛永12年(1635年)頃に作成されたとみられる。
^ a b c d 正保郷帳石高は以下の文献によるが、特に断りの無い限り和泉清司がまとめた石高を採用した。

東京大学史料編纂所, 『正保・元禄・天保・明治村高比較表』.

菊地利夫, 『続・新田開発―事例編』, 古今書院, 1986年.

国絵図研究会編, 『国絵図の世界』, 柏書房, 2005年.

和泉清司, 『近世前期郷村高と領主の基礎的研究 : 正保の郷帳・国絵図の分析を中心に』, 岩田書院, 2008年.

近世繪圖地圖資料研究会編, 『正保國繪圖』, 柏書房, 2010-2013年.
なお陸奥国会津領の正保国絵図には越後国内の小川庄 (東蒲原郡)の石高が計上されているが、本表では越後国会津領の石高として陸奥国会津領から除外する。また越後国の石高は郡高合計より1升少ない。
^ 明治5年石高は、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』の数字を基本史料としてまとめた。但し肥前の石高は7斗多い『日本地誌提要』の石高を採用し、薩摩・大隅の石高は『明治八年 共武政表』の郡高により石高を修正した。
^ 奄美群島は薩摩藩の事実上の直轄領(蔵入地)であったが、江戸時代を通じて対外的には琉球国の一部として集計されていた。明治維新後は明治12年(1879年)に大隅国大島郡が設置されるまで薩摩国の一部とされるなど、帰属が流動的である。
^ a b 新田高等の記載がある地域についてのみ、内高を算出する。また新田高の記載のある地域のみで、総計の内高/表高の比を算出している。
^ 徳川義親, 『尾張藩石高考』, 徳川林政史研究所, 1959年.
^ a b 播磨定男, 石本成暉, 兼重,宗和, 「近世初期検地と物成高 [付] 寛永二年防長両国検地村別石高表」, 徳山大学論叢, 13巻, pp. 92?126 (1979年).なお『寛永2年周防国長門国村一紙』に内訳の詳細が記載されているのは、防長二国65万8299石3斗3升1合の内、萩藩本領57万5288石1斗1升2合のみで、長門国内の長府藩領8万3011石2斗1升9合の内訳は不明である。
^ a b 山口和雄「「明治七年 府県物産表」の分析」, 經濟學研究, 1号, pp. 23?58 (1951年).
^ 遠藤佐々喜, 「維新直後調査鹿兒島藩産物出入比較表に就て: 口繪解説」, 社會經濟史, 4巻 (12号), pp. 1406?1408 (1935年).
^ 中村哲, 『明治維新の基礎構造』, 未来社, 1968年.
^ a b (a) 深谷京司, 中村尚史, 中林真幸 編集『岩波講座 日本経済の歴史 1 中世 11世紀から16世紀後半』, 岩波書店, 2017年. (b) 深谷京司, 中村尚史, 中林真幸 編集『岩波講座 日本経済の歴史 2 近世 16世紀末から19世紀前半』, 岩波書店, 2017年. (c) Bassino, J.-P.; Broadberry, S.; Fukao, K.; Gupta, B.; Takashima, M. "Japan and the Great Divergence 730-1874", University of Oxford Discussion Papers in Economic and Social History, 2017, (156), 1-39 (2017).
^ 勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」による。
^ (a) 村上直, 「江戸幕府直轄領の地域的分布について」, 『法制史学』, 25号, pp. 1?17 (1973年). (b) 村上直, 「江戸後期, 幕府直轄領の地域分布について」, 『法制史学』, 34号, pp. 60?74 (1982年).
^ 以下の史料における慶応2年旧暦4月1日(1866年5月15日)の公称高を基礎とし、米沢藩などについては加増による修正を加えた。

勝海舟編, 『吹塵録』, 「万石以上分限帳」.

^ 藤井讓治, 『江戸幕府領知判物・領知朱印状の基礎的研究 研究成果報告書』, 2005年.
^ 内高の数字は以下の文献による。

早稲田大学図書館, 『大隈重信関係資料』, A1838, 「各藩高並租税調帳」.

大塚武松編, 『藩制一覧』, 日本史籍協会, 1928年.
『各藩高並租税調帳』と『藩制一覧』記載の石高は基本的には同一であるが、一部異なる。その場合には以下の文献と照らし合わせ、一番多く採用されている石高を内高とした。

呉文聡, 「府藩県所轄並石高」, 『統計集誌』, 5号, pp. 9?22 (1882年).

早稲田大学図書館, 『大隈重信関係資料』, A4361, 「府藩県石高人口表」.

国立国会図書館憲政資料室, 『大江卓関係文書』, 220, 「藩々租税取調」.

^ a b c 金沢藩の石高は、富山藩(公称高10万石)、大聖寺藩(公称高10万石)の石高を含まない。ただし大聖寺藩の石高の内2万石は本家からの蔵米支給であり、実際の領知高は8万石である。また金沢藩は能登に1万4368石9斗3升7合4勺5才の私領打込預所を有していたが、金沢藩の石高には含まない。
^ 鹿児島藩の石高は、琉球国(公称高12万3700石、内高9万4230石0斗0升1合5勺7才)の石高を含むが、佐土原藩(公称高2万7070石、内高3万3262石7斗9升3合2勺)の石高を含まない。奄美を含む鹿児島藩本土の石高は77万5363石5斗7升5合0勺7才である。
^ 仙台藩の石高は、一関藩(公称高3万石)の石高を含む。また内高は『宮城縣史 本篇2 近世史』、『岩手県史 第6巻 近代篇 1』を参考にして、『旧高旧領取調帳』から算出した。

旧国郡二藩合計仙台藩一関藩
磐城国宇多郡7,012.747007,012.74700
磐城国刈田郡23,539.2300023,539.23000
磐城国伊具郡39,442.9400039,442.94000
磐城国亘理郡23,581.8100023,581.81000
陸前国名取郡64,249.9000064,249.90000
陸前国宮城郡75,435.8200075,435.82000
陸前国黒川郡43,611.0900043,611.09000
陸前国加美郡39,247.4600039,247.46000
陸前国柴田郡30,527.7800030,527.78000
陸前国遠田郡62,372.4900062,372.49000
陸前国志田郡57,192.8300057,192.83000
陸前国牡鹿郡14,927.3500014,927.35000
陸前国桃生郡73,441.6200073,441.62000
陸前国栗原郡136,492.99000135,082.130001,410.86000
陸前国登米郡41,791.3700041,791.37000
陸前国玉造郡24,906.9800024,906.98000
陸前国本吉郡21,682.6800021,682.68000
陸前国気仙郡15,626.7600015,626.76000
陸中国磐井郡84,007.0600051,390.6200032,616.44000
陸中国胆沢郡75,764.2600075,764.26000
陸中国江刺郡38,815.2700038,815.27000
常陸国筑波郡3,662.040503,662.04050
常陸国信太郡5,598.664665,598.66466
常陸国河内郡2,213.827002,213.82700
下総国豊田郡295.99000295.99000
近江国蒲生郡12,220.4960012,220.49600
近江国野洲郡1,157.206001,157.20600
合計1,018,818.66116984,791.3611634,027.30000
改易処分後308,364.610000278,017.2400030,347.37000

^ 名古屋藩の石高は、明治立藩の御附家老犬山藩(公称高3万5千石、内高4万2704石8斗0升3合1勺)、今尾藩(公称高3万石、内高1万7906石9斗1升3合)の石高を含むが、御連枝高須藩(公称高3万石、内高3万0154石5斗0升3合)の石高を含まない。名古屋藩のみの石高は85万3215石3斗2升9合8勺である。
^ 和歌山藩の石高は、明治立藩の御附家老の紀伊新宮藩(公称高3万8800石、内高3万9359石4斗0升9合6勺4才)、紀伊田辺藩(公称高3万5千石、内高3万6624石7斗5升8合2勺5才)の石高を含むが、御連枝の西条藩(公称高3万石、内高4万0801石8斗)の石高を含まない。和歌山藩のみの石高は53万9469石4斗7升0合7勺である。
^ 熊本藩の石高は、熊本新田藩(高瀬藩)(公称高3万5千石)、宇土藩(公称高3万石)の石高を含む。熊本藩は本領の他に2万2千石の私領同様預所を有していた。
^ 福岡藩の石高は、秋月藩(公称高5万石、内高5万1783石6斗2升5合3勺9才)の石高を含まない。
^ 広島藩の石高は、広島新田藩(公称高3万石)の石高を含む。
^ 萩藩の石高は、長府藩(豊浦藩)(公称高5万石、内高10万0972石)、徳山藩(公称高4万0010石、内高6万9054石)、清末藩(公称高1万石、内高1万3091石)、明治立藩の岩国藩(公称高6万石、内高8万1221石)の石高を含む。萩藩のみの石高は71万3666石である。なお萩藩は慶応2年旧暦5月1日(1866年6月13日)に禁門の変の咎で10万石の減封処分を下されている。
^ 佐賀藩の石高は、小城藩(公称高7万3252石)、蓮池藩(公称高5万2625石)、鹿島藩(公称高2万石)の石高を含む。なお佐賀四藩の石高は『藩制一覧』(88万6525石4斗2升0合0勺7才5弗)と『旧高旧領取調帳』(34万2913石3斗8升6合2勺8才)で明白に異なるが、これは佐賀藩における過大な新田高の算出法に起因し(例えば佐賀本藩の石高72万4739石3斗1升5合2勺の内、本高21万1159石0斗9升9合、新田高51万3580石2斗1升6合2勺)、ここでは佐賀藩の報告した過大な石高を採用した。

旧国郡四藩合計佐賀藩小城藩蓮池藩鹿島藩
肥前国佐賀郡95,677.44020091,158.5592003,954.138000564.743000
肥前国神崎郡41,936.35700034,875.0093007,061.347700
肥前国養父郡11,463.73060011,463.730600
肥前国三根郡14,537.36210014,537.362100
肥前国小城郡41,137.79860014,385.79950026,751.999100
肥前国杵島郡67,773.72813063,775.0961303,998.632000
肥前国藤津郡33,033.0610008,782.16380010,539.48870013,711.408500
肥前国松浦郡14,154.73155011,618.5343502,317.502200218.695000
肥前国彼杵郡2,413.1261002,413.126100
肥前国高来郡20,786.05730020,786.057300
合計342,913.392580273,795.43838033,023.63930022,382.90640013,711.408500
『藩制一覧』886,525.420075724,739.31520082,126.32000059,659.78487520,000.000000

^ a b 水戸藩の石高は、明治立藩の御附家老の常陸松岡藩(公称高2万5千石、内高1万7300石4斗7升)の石高を含むが、御連枝の高松藩(公称高12万石)、守山藩(松川藩)(公称高2万石、内高2万9322石3斗1升9合3勺3才)、常陸府中藩(石岡藩)(公称高2万石、内高2万9069石6斗8升3合0勺1才)。


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