石野真子
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10月25日、横浜音楽祭新人賞受賞[12]

11月15日、日本歌謡大賞放送音楽新人賞受賞[12]

11月18日、マスコミ関係者を招き東京プリンスホテルにて「早く来い来い、クリスマス・ホームパーティ」を開催。これは石野サイドが普段お世話になっているマスコミ関係者とその家族に感謝の意を表して企画した“ちびっ子サービスを交えたアットホームな歌のショー”である[注 5]

12月2日、映画『九月の空』が松竹系映画館で公開。同時上映は『博多っ子純情』。

12月31日、「失恋記念日」が第20回日本レコード大賞新人賞を受賞[注 6]。「『失恋記念日』は賞を頂けたということで、いつも唄う時には1曲につき2着の衣装があったんですけど、3着・4着と増えたっていうのがすごく嬉しかった」[14]。その後、ビクターレコードの先輩歌手で、かつ石野と同じ『スター誕生!』の出身者でも有る、日本テレビ系列特別番組ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』へ、ゲスト生出演した。
1979年

1月11日、イタリアサンレモ音楽祭に出演(新宿音楽祭金賞受賞者が派遣されていた)。

1月25日、シングル4作目「日曜日はストレンジャー」発売。バーニングプロダクションの当時のプロデューサー小口が企画段階から「次のシングルは徹底的に明るい歌にする」としていた作品[13]

1月31日、TBSの連続テレビドラマ、水曜劇場『熱愛一家・LOVE』に出演が決まり、撮影初日。石野がスタジオに姿を現すと、照明が消えてハッピー・バースデーの曲が流れ、バースデー・ケーキにロウソクが灯り共演者や撮影スタッフから拍手が沸き起こる。18回目の誕生日をサプライズ企画で祝ってもらい感激したという[3]

2月14日、TBS水曜劇場『熱愛一家・LOVE』放映開始。石本家の末娘、高校生のみどり役で出演[注 7]

ドラマデビューとなった『熱愛一家・LOVE』出演について後年の取材コメントで、「当時は“女優”とか“演じる”とかの意識はほとんどなかったのですが、現場がものすごく楽しかったのはよく覚えています。森光子さんや泉ピン子さん、西田敏行さんとか、素晴らしい俳優さんたちに囲まれて、私は能天気に本当に自由に伸び伸びとやらせていただいたので、NG出したらどうしようかとか先輩が怖いとか、そういうのは全くありませんでした」(2009年4月、YOMIURI ONLINE)

4月5日、シングル5作目「プリティー・プリティー」発売。

6月25日、水着姿で出演した日本テレビ系『紅白歌のベストテン』の中で、「(自分は)スタイルが悪いので水着を選ぶのに苦労する」とコメント[9][15]

7月5日、シングル6作目「ワンダー・ブギ」発売。

7月16日、野球チーム「PRETTIES」結成[9]。このチームのユニフォーム姿でフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に出演して「ワンダー・ブギ」を歌ったことがある。

8月23日、「第5回日本テレビ音楽祭」開催。デビュー2年目の歌手の中で最も活躍した歌手に与えられる「金の鳩賞」を受賞する。石野は前年の新人賞に続いての受賞。「ワンダー・ブギ」を披露[3]

8月、週刊TVガイドのチャリティーオークションに出品したペンケースとボールペンが140,851円で落札される。

9月25日、シングル7作目「ジュリーがライバル」発売。この曲のレコーディングで「石野は感情の入れ方が上手くなった」と周囲のスタッフが感じ始める[3]

10月27日、TBSラジオ『真子のワンダーランド』出演(毎週土曜17時30分?、?1981年4月4日)[3]

12月、仕事で札幌に行った時に偶然ペットショップで黒いプードルの子犬を見かける。「黒いフサフサの毛が、可愛くって可愛くって堪らなかった」ので、石野はマネージャーに相談し購入を決定(年明け1980年1月にその子犬をマネージャーの婚約者が東京まで運び、石野の元に届けられる)。子犬は「ツン」と名付けられた(名前の由来は二説あり、(1)初め呼んでもツンとしていたから[3]、(2)歩くと足の爪が「ツンツン」と音を立てるから)。

12月31日、「第30回NHK紅白歌合戦」に『ジュリーがライバル』で初出場。石野は紅組のトップバッターとなり、この年の紅白歌合戦1曲目を歌った。
1980年

1月1日、シングル8作目「春ラ!ラ!ラ!」発売。この曲は自己最大のヒットとなる。

1月13日、ニッポン放送『真子と水島裕のスマッシュ・ルンルン』出演(毎週日曜17時?、?1980年10月5日)[3]

3月3日、堀越高等学校を卒業。デビュー直後から多忙になり、単位不足で1年留年した後の卒業であった[4]。留年後の同期卒業生には、渋谷哲平岩崎良美、レコードデビュー直前の松田聖子(NHKレッツゴーヤングのサンデーズで活躍中)がいた[3]

3月10日、芦屋市の実家が失火で全焼する。出火当時、石野は静岡県内で開催された千昌夫ショーにゲスト出演していて、終了後にスタッフから「家が全焼した」と連絡を受け、涙ぐんだという。

3月21日、テレビ朝日系列の連続ドラマ『なさけ坂旅館 一日三食人情つき』放送開始(金曜21時?、?9月26日(全26回))。東京神楽坂にある旅館「丸川」を舞台に三代の女系家族が織り成す人情ドラマ。主演は山田五十鈴、共演者には市原悦子林隆三らが揃っており、前年出演のドラマ『熱愛一家・LOVE』に続いて共演者に恵まれた[3]

4月5日、シングル9作目「ハートで勝負」発売。オリコン週間ランキングは自己最高の15位に上昇した。

4月13日、NHK『レッツゴーヤング』(毎週日曜18時?)の新司会(榊原郁恵の後任)を太川陽介と共に務めた(?1981年3月7日)。

5月25日、東芝日曜劇場「およめちゃん」に初出演。「熱愛一家・LOVE」のディレクター・鴨下信一が、石井ふく子プロデューサーに紹介し、出演が実現した。「およめちゃん」は好評のため、その3まで製作された(共演:山村聰・おりも政夫・織本順吉、脚本:折戸伸弘、演出:鴨下信一、プロデューサー:石井ふく子)。

7月5日、シングル10作目「めまい」発売。

8月28日、日本テレビ系列『日本テレビ音楽祭』のトップ・アイドル賞を受賞。昨年まで女性部門は山口百恵が連続受賞していた。“普通の女の子が歌をうたっているだけ”と日頃から思っていた石野にとって思いがけない受賞で、「ありがとうございます、ホントにありがとう、こんな私がトップ・アイドル賞をいただけるなんて」と笑顔でコメントしていた[16]

8月30日 - 31日、日本テレビ系の第3回24時間テレビ 「愛は地球を救う」でメインパーソナリティーを務める。

9月21日、シングル11作目「彼が初恋」発売。

11月21日、自身初となる両A面のシングル12作目「フォギー・レイン/恋のハッピー・デート」発売。なお「恋のハッピー・デート」は、当時の流行グループ歌手だったノーランズカバー曲で、元のタイトルは「Gotta Pull Myself Together」。歌番組での石野は「恋のハッピーデート」を披露することが多かった。

12月31日、「第31回NHK紅白歌合戦」に2年連続2度目の出場を果たし、青いレオタード衣装で「ハートで勝負」を披露。また同じNHKの『レッツゴーヤング』でバックダンサーを務める「サンデーズ」の面々も駆け付けた。なお現時点で石野のNHK紅白歌合戦は、同回が最後の出演となっている。
1981年

2月5日、1981年で最初となる13作目のシングル「思いっきりサンバ」をリリース。

4月12日、日本テレビ系『スター誕生!』の新司会を坂本九と共に務める。4月21日、14作目のシングル「彩りの季節」をリリース。

6月、シンガーソングライターフォーク(当時)歌手の長渕剛婚約結婚を前提に交際宣言を発表。その際石野は同年8月末をもって、歌手活動を含めた芸能界からの引退を表明する[17]

6月21日、2ヶ月連続リリースの第1弾としてシングル・15作目の「恋のサマー・ダンス」を発売。

それから1か月後の7月21日、2ヶ月連続リリースの第2弾シングル・16作目「バーニング・ラブ」発売。


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