所属事務所からデビュー曲が決定したとの知らせが届き、レコーディング準備に入るため、1月7日、上京することになった。電話の受話器越しに作曲者の吉田拓郎が歌う「狼なんか怖くない」のデモテープを初めて聴き感激したという。レコーディングに関しては「狼なんか怖くない」の「レコーディング」の項を参照。
3月25日、デビュー・シングル「狼なんか怖くない」(作詞: 阿久悠/作曲: 吉田拓郎/ジャケット撮影: 篠山紀信)がビクターから発売。アイドル歌手として芸能界にデビューした。当時のアイドルには必ずと言っていいほどキャッチフレーズが付けられており、石野に付けられたものは「100万ドルの微笑」。ファースト・アルバム『微笑(ほほえみ)』の帯にもその記述が見られる。また、八重歯と垂れ目であることをチャームポイントにしていた[11]。「狼なんか怖くない」を観客の前で初披露したのは、TBSテレビの『笑って!笑って!!60分』。後日感想を訊かれて「私の歌をあんなに喜んでくださるなんてもう最高!、すごく嬉しかった!」とコメント[4]。
3月27日、デビュー2日目にフジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演。「狼なんか怖くない」を歌い終えた石野に対し、司会者の芳村真理は「いやー真子ちゃん、デビューして2日目!ご苦労様でした!」と声をかけている[注 4]。
デビューからしばらくの間、石野が仕事の移動で使っていた車はマネージャーの井上が運転する「フォルクスワーゲンの真っ赤なビートル」。これは所属事務所の1年先輩の高田みづえが使用していた車を譲り受けたもの[4]。また、当時は極度の男性恐怖症があり、男性マネージャーと2人で車に乗っている時はいつでも車から飛び降りられるように助手席のドアノブを握っていた。
6月25日、シングル2作目「わたしの首領」(わたしのドン)発売(作詞担当の阿久悠は、当時広島で起きていた暴力団抗争からヒントを得て、「首領」を「ドン」と読ませた)。
8月、デビューシングルと2作目を作曲した吉田拓郎がパーソナリティーを務めるラジオ番組『セイ!ヤング』にゲスト出演。本番中のCM開けのジングル「♪セ?イ!ヤ?ング♪」を口ずさんだ石野は吉田から「そうやって、いつも歌ってるわけ?」と尋ねられ、「子供のころからいつも歌っています」と告白。また、自分を動物に例えると何?とのリスナーの質問に、石野が「タヌキ…じゃないですか?」と答えると、吉田は「僕は自分をカモシカだと思ってますけどね」と応じて石野を笑わせた。また吉田は番組内で石野について「あなたは頭が良い」「あなたはラジオよりテレビのほうが面白い!」と称賛した。
当時披露した物まね芸に、アメリカ人美女プロゴルファー「ローラ・ボー」(1978年8月、文化放送『吉田拓郎のセイ!ヤング』で披露。当時流行した日清製油 (現・日清オイリオグループ)のテレビCMに出演した)の歌真似と、「アグネス・チャン」(1979年7月20日、日本テレビ『カックラキン大放送!!』で披露)[9] などがあった。
8月27日、いわゆる「西武園1万人コンサート」開催。この年8月最後の日曜日に、自身初となるコンサートを西武園(埼玉県所沢市)で行う。ファンの集いを兼ねたこのコンサートは「石野真子のドンとやってみよう、宿題なんか怖くない、1万人大集会」というタイトルで中高生をターゲットに開催したもので、石野の歌を楽しむ一方、大学教授を招き夏休みの宿題対策を冗談を交えて行う企画だった。集まったファンへのプレゼントとして夏休み期間のお天気情報(天候、気温、湿度)が配られた[4]。
10月5日、シングル3作目「失恋記念日」発売。
10月22日、初めて出演する映画『九月の空』が松竹大船撮影所にて撮影開始。高橋三千綱の芥川賞受賞作品『九月の空』を映画化したもので、山根成之監督作品。主人公の高校生・小林勇(坂東正之助)に淡い憧れを抱く初々しい女子高生の松山小夜子役。また、石野の所属事務所先輩の郷ひろみが、ライバル高校の剣道部員役で友情出演している。この映画には主演の坂東正之助とのキスシーンがあったが、元来恋愛に奥手でプライベートですらキスの経験がなかった石野は撮影当日、相当緊張した。キスシーンの撮影自体は1度でOKを出せたものの、本番後の石野は大粒の涙を流した[13]。
11月18日、マスコミ関係者を招き東京プリンスホテルにて「早く来い来い、クリスマス・ホームパーティ」を開催。これは石野サイドが普段お世話になっているマスコミ関係者とその家族に感謝の意を表して企画した“ちびっ子サービスを交えたアットホームな歌のショー”である[注 5]。
12月2日、映画『九月の空』が松竹系映画館で公開。同時上映は『博多っ子純情』。
12月31日、「失恋記念日」が第20回日本レコード大賞新人賞を受賞[注 6]。「『失恋記念日』は賞を頂けたということで、いつも唄う時には1曲につき2着の衣装があったんですけど、3着・4着と増えたっていうのがすごく嬉しかった」[14]。その後、ビクターレコードの先輩歌手で、かつ石野と同じ『スター誕生!』の出身者でも有る、日本テレビ系列特別番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』へ、ゲスト生出演した。 1月11日、イタリア・サンレモ音楽祭に出演(新宿音楽祭金賞受賞者が派遣されていた)。 1月25日、シングル4作目「日曜日はストレンジャー」発売。バーニングプロダクションの当時のプロデューサー小口が企画段階から「次のシングルは徹底的に明るい歌にする」としていた作品[13]。 1月31日、TBSの連続テレビドラマ、水曜劇場『熱愛一家・LOVE』に出演が決まり、撮影初日。石野がスタジオに姿を現すと、照明が消えてハッピー・バースデーの曲が流れ、バースデー・ケーキにロウソクが灯り共演者や撮影スタッフから拍手が沸き起こる。18回目の誕生日をサプライズ企画で祝ってもらい感激したという[3]。 2月14日、TBS水曜劇場『熱愛一家・LOVE』放映開始。石本家の末娘、高校生のみどり役で出演[注 7]。 ドラマデビューとなった『熱愛一家・LOVE』出演について後年の取材コメントで、「当時は“女優”とか“演じる”とかの意識はほとんどなかったのですが、現場がものすごく楽しかったのはよく覚えています。森光子さんや泉ピン子さん、西田敏行さんとか、素晴らしい俳優さんたちに囲まれて、私は能天気に本当に自由に伸び伸びとやらせていただいたので、NG出したらどうしようかとか先輩が怖いとか、そういうのは全くありませんでした」(2009年4月、YOMIURI ONLINE) 4月5日、シングル5作目「プリティー・プリティー」発売。 6月25日、水着姿で出演した日本テレビ系『紅白歌のベストテン』の中で、「(自分は)スタイルが悪いので水着を選ぶのに苦労する」とコメント[9][15]。 7月5日、シングル6作目「ワンダー・ブギ」発売。 7月16日、野球チーム「PRETTIES」結成[9]。このチームのユニフォーム姿でフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に出演して「ワンダー・ブギ」を歌ったことがある。 8月23日、「第5回日本テレビ音楽祭」開催。デビュー2年目の歌手の中で最も活躍した歌手に与えられる「金の鳩賞」を受賞する。石野は前年の新人賞に続いての受賞。「ワンダー・ブギ」を披露[3]。 8月、週刊TVガイドのチャリティーオークションに出品したペンケースとボールペンが140,851円で落札される。 9月25日、シングル7作目「ジュリーがライバル」発売。
1979年