石野真子
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“普通の女の子が歌をうたっているだけ”と日頃から思っていた石野にとって思いがけない受賞で、「ありがとうございます、ホントにありがとう、こんな私がトップ・アイドル賞をいただけるなんて」と笑顔でコメントしていた[16]

8月30日 - 31日、日本テレビ系の第3回24時間テレビ 「愛は地球を救う」でメインパーソナリティーを務める。

9月21日、シングル11作目「彼が初恋」発売。

11月21日、自身初となる両A面のシングル12作目「フォギー・レイン/恋のハッピー・デート」発売。なお「恋のハッピー・デート」は、当時の流行グループ歌手だったノーランズカバー曲で、元のタイトルは「Gotta Pull Myself Together」。歌番組での石野は「恋のハッピーデート」を披露することが多かった。

12月31日、「第31回NHK紅白歌合戦」に2年連続2度目の出場を果たし、青いレオタード衣装で「ハートで勝負」を披露。また同じNHKの『レッツゴーヤング』でバックダンサーを務める「サンデーズ」の面々も駆け付けた。なお現時点で石野のNHK紅白歌合戦は、同回が最後の出演となっている。
1981年

2月5日、1981年で最初となる13作目のシングル「思いっきりサンバ」をリリース。

4月12日、日本テレビ系『スター誕生!』の新司会を坂本九と共に務める。4月21日、14作目のシングル「彩りの季節」をリリース。

6月、シンガーソングライターフォーク(当時)歌手の長渕剛婚約結婚を前提に交際宣言を発表。その際石野は同年8月末をもって、歌手活動を含めた芸能界からの引退を表明する[17]

6月21日、2ヶ月連続リリースの第1弾としてシングル・15作目の「恋のサマー・ダンス」を発売。

それから1か月後の7月21日、2ヶ月連続リリースの第2弾シングル・16作目「バーニング・ラブ」発売。これが石野のアイドル時代で最後に発売したシングルとなった。

7月26日、金沢観光会館を皮切りに「Bye-Bye MAKO グッドラック・コンサート」が全国18ヵ所で公演。8月30日、「Bye-Bye MAKO グッドラック・コンサート」最終日(渋谷公会堂)。日本テレビ「日曜スペシャル・いよいよ引退!石野真子ラストコンサート」でその様子がテレビ生中継された[9]。当時、女性アイドル歌手(デュオ・グループを除く)の「引退コンサート」としてテレビで生中継されたのは、山口百恵と石野の2人だけだった。

9月6日、日本テレビの『スター誕生!』最後の司会を務める回の放送日(録画)。この回の収録では番組サイドが石野の引退に配慮して、「石野真子ヒット・メドレー」のコーナーを番組内に組んでいる。「わたしの首領」「プリティー・プリティー」、「彩りの季節」の3作をメドレーで歌い、最後に「バーニング・ラブ」を披露した[9]。ちなみに『スタ誕』の進行の役目は石野にとっては気苦労が多く[注 8]、坂本九がリードしてくれたのが支えだったという。後年「今の私があるのは『スター誕生!』のおかげ、デビューできたことに加え、番組終了後もいろんなところで気にかけていただき、関係者の皆様にお世話になっていました。今でも感謝しかありません」と述べている[5]
芸能界一時引退 1981年 - 1983年

芸能活動引退直後の1981年9月、長渕剛との婚約記者会見を行う。石野は幼いころから、幸せな結婚をして家庭に入ることが夢のひとつであった。また、長渕から「家庭に入って欲しい」と望まれたこともあり、結婚出来るのであれば喜んで芸能界を未練なく去る気持ちだったという。

長渕剛との出会いは、シングル「順子/涙のセレナーデ」が大ヒット中だった1980年、ニッポン放送長渕剛のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていた長渕の希望を受けて、番組の構成作家だった秋元康が石野のゲスト出演をセッティングしたことがきっかけ。番組内で二人が意気投合したことから後に交際に発展した[18]。また、長渕は石野との関係を自身のシングル8作目「二人歩記(ふたりあるき)」という歌に残している。

石野と長渕の結婚式は当初ロサンゼルスにあるガラスの教会として有名な「ウェイフェラーズチャペル」」で1982年1月15日に行われる予定だった。しかし長渕の母の体調が悪くなったため延期となった。石野には「二十歳の花嫁」に強く憧れがあったため、21歳の誕生日(1月31日)よりも前に挙式したいと希望した。その希望を叶えるべく、1982年1月22日の挙式となった。結婚式の仲人を務めたのは長渕の師匠である吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時、のちに離婚)[19]。吉田は石野のデビュー当時の楽曲提供者であり、石野にとっての恩師でもあった。

挙式直後、当時のワイドショーテレビ番組「3時のあなた」の記者のインタビューでは、長渕は「やっと自分のものになった。うちはもう亭主関白でいきます!」とコメントした。仲人の吉田拓郎は「どんな結婚式に映りましたか?」との質問に対し、「やっぱり僕の知っている長渕剛からいくと見たことのない長渕剛でした。非常に傲慢さのないですね、非常に硬くなっている印象で、初めて見ました」と発言。

しかし結婚後の二人は、様々な見解の相違を表面化させていく。長渕剛からの度重なる家庭内暴力や長渕の母との確執などが原因で、週刊誌でも大きく取り沙汰されるようになり、結局二人の結婚生活は僅か2年持たずにピリオドが打たれた[20]。1983年3月、既に長渕と別居していた石野は、同年5月に長渕との離婚を決意、結果として石野の“芸能界引退”は一時的なものとなった。

なお石野の芸能活動引退時、1981年12月に「私のしあわせ PARTII」、1982年9月には“引退1周年記念盤”と題して「明日になれば」と、各シングルをリリースしている。
芸能界復帰以降 1983年 -
1983年

1983年5月、離婚と同時に芸能界へ復帰の記者会見を開き、本格的な芸能活動の再開を発表する。主に女優として活動し、所属事務所はデビュー時のバーニングプロダクションと同じグループ会社のフロム・ファーストプロダクションへ移籍。会見には「およめちゃん」のプロデューサーでもある石井ふく子が同席し、時折涙を見せた石野にハンカチを差し出した。復帰作品は、石井ふく子プロデュースの東芝日曜劇場「ねえちゃんの夏」 。

9月25日、『スター誕生!』の最終回に他の卒業生らと出演。

11月14日、フジテレビ系列『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーに鶴見辰吾からの紹介で初出演。司会のタモリからは、「太った?」「目が腫れてる?」「相変わらず歯があっちこっちだね」「手が大きいね」「爪も大きい、アサリ貝みたいだね」などといじられた。自分の手は指が短く形が悪いので洗剤の宣伝など手が映る仕事は絶対に出来ない手だと思う、などと話した。仕事の宣伝としては、初めての舞台芝居となる「おしん」のポスターを持参した。翌火曜日へのお友達紹介では、1980年にテレビドラマで共演した林隆三の自宅へ石野自身が直接ダイヤルしてバトンタッチした。
1985年

歌手活動を本格的に再開する。10月30日、フジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』放送。1981年8月31日放送の“さよなら引退”以来の4年ぶり出演で、シングル「めぐり逢い」(リリースは6月21日)を披露。この日、石野は黒いドレス姿で登場したが、歌の最中にこのドレスの肩の部分がズリ落ちてしまうハプニングに見舞われて必死に耐えながら歌った。
1986年

1月5日、NHKの大河ドラマいのち』放送開始(1月5日 - 12月14日、日曜20時?)。高原佐智(サチ)役を石野が演じて好評を得る。後年、中南米の国キューバでも『いのち』がテレビ放映され視聴率が80%を記録。「イシノマコ」は同国で知名度の高い日本人の一人になった。「みんなが一所懸命に頑張っていこうとする姿に(我々)キューバ人は皆が泣いたのだ」とのこと。キューバでのテレビ放送から10年経って石野が同国を訪れた際に、国賓級で招待され、国営テレビ局が取材に訪れ、ニュースとして扱った[21][22]

4月7日、日本テレビ『歌のトップテン』の初代司会者を、徳光和夫と共に約1年間担当(翌1987年3月30日まで)。なお9月1日、元夫の長渕剛が「注目曲コーナー」で同番組に生出演。長渕が直接「元気?」と尋ねると石野は「元気」と頷きながら答え、長渕が「SUPER STAR」を歌唱する直前、石野は「頑張って!」と励ましの声を掛けていた。
1987年

7月21日に2年ぶりとなる「ガラスの観覧車」、3か月後の10月21日「空にカンバス」と各シングルをリリース。それ以降歌手活動は暫く休養し、女優業に専念する。
1990年 - 1999年

1990年、舞台共演がきっかけで親しくなった広岡瞬と2度目の結婚をしたものの1996年に離婚(石野にとって2度目の結婚と離婚)。

1990年代の女優時代には、刑事ドラマに出演する際に犯人役で登場することが多かった[1](「石野真子がまた犯人役で出ていて、結末のわかる配役に疑問」といった投書が新聞に掲載されたことがある)。
2000年 - 2003年

極真空手全日本チャンピオンでその後は不動産会社や警備会社を経営し、岸和田市議、新進党大阪府第18総支部会長、新進党大阪府連常任幹事を務めていた大西靖人と石野は愛人関係になった。やがて大西が2003年(平成15年)1月22日に肝炎から進行した肝臓ガン死去すると葬儀の会場には“未亡人と共に臨終を看取った”石野の姿もあった[23]


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