石野真子
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(30年間は)本当にあっという間のような気もしますが…、あの日に今日の日が来るなんて想像もしていなかった」とコメントを寄せた[24]

2008年3月26日、前日の記念コンサートに続き、石野のデビュー30周年記念CD BOX『Mako Pack -Premium-』が発売(CD7枚+DVD2枚組の完全限定生産盤。製作・発売元はビクターエンタテインメント)。このCD BOXのジャケット写真は、1980年発売のシングル8作目「春ラ!ラ!ラ!」のジャケット撮影時の別ショットを使用している。

2008年12月23日、「東京タワー開業50周年記念のイベント」に出演、「東京タワー開業50周年 公式応援ソング」を披露する。2008年12月24日、「東京タワー開業50周年 公式応援ソング」が発売される。
2009年

Newsweek』(ニューズウィーク日本版、2009年7月8日)の特集「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。これはNHK大河ドラマいのち』がキューバで視聴率80%を記録するなど、キューバで人気が高いことから選出されたもの。

8月7日、歌と舞台の融合ライブ『Singact 2009 Pan Dora ?真子の反抗期?』を東京青山の草月ホールで上演、のちにDVDとしてリリース。
2010年

1月、国内の女性ボーカリストによるカーペンターズのカバー曲集「カーペンターズ フォーエバー」に参加、同名イベントコンサートにも出演。

4月、『Singact 2009 Pan Dora ?真子の反抗期?』DVD発売記念として渋谷でライブを開催。当初予定日のライブチケットが完売となったため、翌日の追加公演が決定した。このライブで、夏に29年振りのライブツアー開催を告知。

7月、札幌を皮切りに全国9カ所のライブツアーを実施。6月には、このライブの告知と同月発売のシングル発売を記念して、全国のレコード店やイベントスペースでインストアイベントとしてミニライブとサイン会&握手会開催。シングルは、オリコンのインディーズチャートにおいてチャートインも果たした。また、ライブツアー終了後もアルバム発売イベントという形で10月まで各地でキャンペーンを実施。9月には、このライブツアーを追ったドキュメント番組がBSフジにて放送された。

12月、毎年恒例となっている品川グローリアチャペルでのクリスマスコンサートが、会場をサントリーホール「ブルーローズ」に変更して開催された。
2011年

2月、ミュージカル『ヒロイン ?女たちよ タフであれ!?』に榊原郁恵、早見優、松本伊代とともに出演(元アイドルグループ「ミューズ」が25年振りに再結成するというストーリーのミュージカル)。アイドルグループ解散後、番組レポーターなどを経て、メイド喫茶のオーナーとなった「ピーチ」役

8月、日本で人気の特撮番組スーパー戦隊シリーズを米国でリメイクしたテレビ番組シリーズである「Power Rangers」シリーズ、『Power Rangers: S.P.D』のナレーターを担当。

9月、大阪心斎橋で、『FATHER MUSIC!! Presents!!“まいにちうたがうたえたら”』にゲスト出演。

12月、『石野真子 Christmas Concert 2011』が浜離宮朝日ホールで開催された。
2012年

2012年2月、岐阜県の長良川温泉「ホテルパーク」にてディナーショーを開催(2回公演)同月、ミュージカル『ヒロイン ?女たちよ タフであれ!?』が『Newヒロイン』として上演。再演ではなく新ストーリーでの公演。東京、熊本、山口、大阪、名古屋の5会場で公演。

5月、佐藤健、石原さとみ主演の舞台「ロミオ&ジュリエット」にキャピュレット夫人役で出演。

8月2日、浜離宮朝日ホールで毎年開催される『Premium meets Premium 2012』でライブ開催。12月27日、浜離宮朝日ホールにて、『石野真子Concert2012』を開催する。
著名人のファン

最初の夫である長渕剛がデビュー後間もない1978年当時、福岡県北九州市のライブハウスに飛び入りで現れた際、MCで「俺は将来石野真子を嫁さんにする」と発言している。

バーニングプロダクションビクター音楽産業 の後輩である小泉今日子は、デビュー当時のプロフィールにおいて石野が憧れだと公表していた。日本テレビ『スター誕生!』に挑戦した小泉は決戦大会で石野の「彼が初恋」を歌った。元アイドルの堀ちえみ(2003.12.31 テレビ朝日『鶴瓶とロンブーの年越しイベント』)や芳本美代子(2007.7.14 テレビ東京『夏の北海道期間限定列車で行く旅』)も、「石野真子さんに大変憧れて芸能界へ入った」と語っている。

ダウンタウン浜田雅功(2007年6月21日、NTV『ダウンタウンDX』)は、石野の熱狂的なファンであると公言し、頻繁にメールのやり取りをする間柄であることを浜田の番組『ごぶごぶ』に石野が電話出演した際に明かしている。

元歌手で俳優の嶋大輔は、アイドル時代の石野の親衛隊をしていたと語っている(2006年5月18日、NHK『きよしとこの夜』)。また、新米の親衛隊員だったころに大磯ロングビーチで行われたショーの場所取りで熱中症にかかり救急車で搬送されたことがある、と石野のデビュー30周年記念CD BOX『Mako Pack -Premium-』のブックレットに寄稿した中に記している。

爆笑問題太田光は、「石野真子の所属事務所にファンレターを送り、返信の葉書を本人から頂いた」と証言(2002年4月、フジ ザ・ジャッジ! ?得する法律ファイル『コレって罪じゃないの!?』)。

フジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の司会者だった芳村真理は石野が憧れた先輩の一人で親交も深い。石野は芸能界デビュー後たった2日目の1978年3月27日に『夜のヒットスタジオ』に出演をしている。同番組の最終回に出演した際には「他の番組ではアイドル歌手としてしか扱ってくれなかった中で、真理さんだけは一人の大人、一人の女性として接してくれたことがとても嬉しかった」と芳村へ敬意を込めたコメントを残した。

沢村一樹は、「スター誕生」でデビューした沢山のアイドルの中で、石野真子さんが一番大好きでした。と語っている(日本テレビ「スター誕生の★瞬間」2012年2月28日)。
八重歯タレント

アイドル歌手“石野真子”がデビューした時のキャッチフレーズは「百万ドルの微笑」で、トレードマークはタレ目と見事な2本の八重歯だった。所属事務所のバーニングプロダクションは、石野をそのまま八重歯のアイドルとして売り出した。色紙にサインを書く時などは、自身に見立てた“タレ目で八重歯”の女の子のイラストを書き添えることがあった。また、そのイラストを基にしたステッカーやワッペンなどの石野グッズも販売されていた。1979年7月に結成した石野真子の野球チーム「PRETTIES」のユニフォームのワッペンにもこのイラストが使用された。20世紀の八重歯タレントとしては、小柳ルミ子梓みちよ国広富之河合奈保子芳本美代子坂上香織、古くは美空ひばり石原裕次郎なども挙げられる。“タレ目で八重歯のタレント”といえば石野を指した。

当時、八重歯が相当な牙(キバ)だったことを示す本人のコメント。「薄ーいコップって有りますよねぇ。それでお水を飲もうと思って半分まで飲んだんです。底にちょっとしか残ってなかったんで、一気にクイっと飲もうと思ったんですよ。それが八重歯の間にちょうどコップの飲み口がカチッと挟まったまま、手だけ上にクッと上げたから、テコの要領でガラスが口の中で割れちゃったんです。バリッという感じで、お水がバッ!と弾けましてね、ビックリしました」。

デビュー2年目に出演したTBSの連続ドラマ『熱愛一家・LOVE』のワンシーンには、結婚式を控えた石本みどり(石野の役)が夢の中で鏡に向ってマジマジと自分の顔を見つめる場面の台詞に、「タレ目がこう上がって、ダンゴ鼻がとんがって、この牙を抜いて、これだけ整形したら美人になれるかなー?…この牙!どうにかならないかなぁ」と呟くシーンがある。

八重歯タレントの多くは歯列矯正して八重歯を卒業してしまうケースが多く、石野も例外ではない。トレードマークだった2本の八重歯は1985年に矯正、美しい歯並びに直した。1985年10月30日、フジテレビの『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演して新曲『めぐり逢い』を披露した際に、司会の芳村真理古舘伊知郎から「八重歯はどうしたの?」と訊かれると、「そう、削っちゃったの」と軽く口元を見せ、歯列矯正した事を認めている。
アイドルとして

石野が歌手デビューした1978年当時、日本の音楽界はニューミュージックやテクノポップの拡大時期で、正統派アイドル歌手にとっては“冬の時代”だった。同年暮れ、第20回日本レコード大賞の新人賞受賞曲は石野の『失恋記念日』のほか、渋谷哲平の『Deep』、中原理恵の『東京ららばい』、さとう宗幸の『青葉城恋唄』がノミネートされたが、最優秀新人賞に輝いたのは、シンガーソングライター渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』だった。また石野自身、デビュー後のレコードセールスではオリコンチャートにベスト10入りしたことは一度も無かった(オリコン週間最高位は「ハートで勝負」の15位)。

それでも、当時日本の女性アイドルとしての人気はトップクラスで、テレビ出演は音楽番組の他、ドラマやバラエティ番組やCMも含めて出演頻度が多かった。NHK『レッツゴーヤング』の司会、日本テレビ系列の第3回24時間テレビ 「愛は地球を救う」のメインパーソナリティも担った。また、ラジオ番組のパーソナリティも務めていた。人気アイドル投票などでは1位を獲得し、明星平凡をはじめとする、各種雑誌のピンナップや付録ポスターにも頻繁に登場した。1980年8月放映の『日本テレビ音楽祭』では「トップ・アイドル賞」を受賞している。

20歳になった1981年に長渕剛との結婚が決まった。「家庭に入って欲しい」という長渕の希望と、「家庭に納まって平穏な日々を送ること」の自身の夢が合致したこともあり、迷うことなく芸能界を引退を決意。デビュー以来3年半という短いアイドル歌手時代に幕を引いた。

結婚引退直前には、セミヌードグラビアが雑誌「GORO」に掲載された。「週刊プレイボーイ」では乳首が透けた水着姿のグラビア写真も公開された。

「GORO」セミヌードグラビアは、アイドル引退前年の秋(19歳時)に、山中湖で篠山紀信によって撮影された。従来の正統派アイドルのイメージを覆すアダルトな世界を模索し、背中を大きく露出したり、バストトップを見せるなどの大胆なショットになった。1981年8月に公開されたヌードグラビアについては、グラビア掲載後に出演したラジオ番組の中で「まさか(バストトップが)写っていたとは思わなかった」と釈明すると共に、本人に承諾なく掲載されたことに憤りを感じていると語り、ファンに対して涙声で謝罪した。


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