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出典検索?: "石野真子"
いしの まこ
石野 真子
本名同じ
別名義石野 眞子
生年月日 (1961-01-31) 1961年1月31日(63歳)
出生地 日本・兵庫県
身長156 cm
血液型A型
職業女優、歌手
ジャンルテレビドラマ、舞台、映画
活動期間アイドル歌手時代: 1978年 - 1981年、復帰後:1983年 -
活動内容1977年: 『スター誕生!』決戦大会合格
1978年: 「狼なんか怖くない」で歌手デビュー
同年: 「九月の空」で映画デビュー
1979年: 『熱愛一家・LOVE』でドラマデビュー
同年: 「ジュリーがライバル」でNHK紅白歌合戦初出場
1980年: 『なさけ坂旅館』(ドラマ)
同年: 「ハートで勝負」でNHK紅白歌合戦2回目出場
1981年:芸能界を一時引退、長渕剛と結婚
1983年:長渕との離婚により芸能界へ復帰
1986年: 『いのち』
1990年: 広岡瞬と再婚、芸能活動は続行
1996年: 広岡と2度目の離婚
配偶者長渕剛(1981年-1983年)
広岡瞬(1990年-1996年)
著名な家族妹 (いしのようこ、宝乃純)
事務所フロム・ファーストプロダクション
公式サイトプロフィール
主な作品
テレビドラマ
『いのち』
『君の瞳をタイホする!』
『特捜戦隊デカレンジャー』
『花より男子』シリーズ
『いい女』 映画
『九月の空』
『特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション』
『花より男子F ファイナル』
受賞
受賞歴参照
備考
靴のサイズ23cm、みずがめ座
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石野 真子 (いしの まこ、1961年1月31日 - ) は、日本の女優、歌手。別名、石野 眞子[1]。
兵庫県生まれ。フロム・ファーストプロダクション所属。日本テレビ『スター誕生!』出身。第20回日本レコード大賞新人賞受賞、NHK紅白歌合戦出場歴2回。実妹に女優のいしのようこ (旧表記・石野陽子)と宝乃純[2]。 みずがめ座のA型 (アイドル時期のファンクラブ会報にはO型との表記がある。編集段階でのミスか、幼少時の検査結果によるものかは不明) 。両親と妹2人の5人家族。父親はビーズ製のハンドバッグ製造会社の経営をしていた。石野が幼いころの実家では大型犬のセント・バーナード (名前は「バズ」) を飼っていて可愛がっていた」[3][4]。物心ついたときから歌が好きで、このころはまだ何となくではあったが自然と「テレビの中の世界で歌いたい」と思うようになった[5]。 4月、尼崎市のカトリック系女子校の私立百合学院中学校に進学。父親は非常に躾が厳しく、中学・高校時代の門限は16時30分で、1分でも遅刻すると「どこへ行ってたんや」と父親が玄関で待ち構えていた[4]。帰宅後は、実家で製品確認などの家業手伝いをしていた[6]。 中学1年のころ、日曜日の午前11時に放映されていた日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』をよく見ていた。同番組から歌手デビューした白いエンジェル・ハットの桜田淳子の活躍を見て「私もあんなふうにテレビに出たい」と密かに決意する。 中学時代に自宅でよく歌っていたのがアグネス・チャンの「ひなげしの花」。初めて買ったレコードが荒井由実の「あの日にかえりたい」だった。 中学3年後期、躾に厳しかった父親も習い事には理解を示し、歌が好きだった石野は「歌のレッスンを受けたい」と相談すると、「きちんとしたところに通うんやったら、ええやろう」と許可された。母からは「あなたは歌手に向いていると思う」と応援してくれた[5]。平尾昌晃歌謡学院大阪校 (現在の平尾昌晃ミュージックスクール このころにデビュー前の川崎麻世と文通をしていた[7]。この時期二人は、共に平尾昌晃歌謡学院大阪校へ通う生徒だった。 4月、百合学院高等学校に進学(同高校には2年生の2学期までの在籍。歌手デビューのため上京した2年生3学期からは都内の堀越高等学校へ転校)。この年の秋、平尾昌晃歌謡学院の講師から「本気で歌手になる気があるならオーディションを受けてみないか、君の実力ならきっと受かると思う」と勧められる。これがきっかけで日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募ハガキを出す。父親に「オーディションを受けてもいいかな?」と訊ねると、「どうせ落ちるやろから、まあええよ」と反対されなかった[4]。 1月26日、『スター誕生!』の予備審査と予選会を勝ち進み、本選の大阪大会(豊中市民会館、テレビ放送日1977年2月13日)に出場。ダニエル・ビダルの「天使のらくがき」を歌った。本人によると歌唱審査でこの曲を選んだ理由は、「それまでの『スタ誕』では多くの出場者が日本の歌謡曲を歌っていたので、少しでも印象づけるためフレンチ・ポップスのこの曲を選んだ」としている[5]。
経歴とエピソード
芸能界デビューまで - 1977年
誕生、幼少期
1973年
1975年
1976年
1977年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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