日本では江戸時代後期、田畑に石灰を投入することにより収穫量が増加することが見いだされた。価格も当時流通していた金肥の数分の一と安価であり、肥料の一種として珍重されるようになった[3]。当時、石灰の生産は、石灰岩の産出地周辺で原始的な石灰窯で盛んに製造されている。20世紀に入ると化学肥料が製造され始めたが、原料が軍需物資ということもあり大規模な使用は控えられた。このため石灰は、第二次世界大戦が終了するまで農業生産に大きな役割を果たし続けた[4]。
脚注^ a b c d e f g h i 島西智輝「戦後石灰石鉱業史 : 業界誌『石灰石』を中心として
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