石油
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なお、世界最古の石油製品は石器時代には既に接着剤として利用されていた天然アスファルトとされている[18]。紀元前3000年のころ、メソポタミアでは、地面の割れ目からしみ出していた天然アスファルトが、建造物の接着やミイラの防腐、水路の防水などに使われていた。紀元前1世紀ごろの記録では、石油を傷口にぬって血を止めたり、発熱をおさえるなどの万能薬として用いられていたと記されている。

日本では天智7年(668年)、日本書紀越の国から「燃ゆる土」と「燃ゆる水」が近江大津宮に献上されたという記録が残っている。江戸時代になると石油は「くそうず」(臭水、草生水などと表記)と呼ばれていた。

このように石油の発見自体は非常に古く、産地においてその存在は有史以前から知られていたものの、積極的に利用されていたとは言い難く、それどころか多くの国で利用の禁止さえされていたこともある。その理由については宗教や迷信も含めて様々だが、やはり最も大きい理由として挙げられるのは燃焼時等に発生する有毒ガスの危険性であると推測される。

精製された現在の石油製品でさえその危険性は皆無ではなく、未精製の石油に至っては比較にならないほどリスクが高い。そのため石油は産地におけるごく小規模の利用にとどまり、積極的な実用には至らなかった。
19世紀オケマ(オクラホマ)の油井やぐら、1922

アメリカ合衆国では1855年ネイティブ・アメリカンが薬用にしていた黒色の油を精製したところ、鯨油よりも照明に適していることが分かり、油田開発がスタートした[19]需要が伸びるにつれ、原油採掘の必要性が高まったところ、機械掘りの油井の出現が、石油生産の一大画期をなした。

エドウィン・ドレーク(ドレーク大佐)が1859年8月に、ペンシルベニア州タイタスビルの近くのオイル・クリークで採掘を始めたのが世界最初と言われる。しかし、別のところでもっと早くあったとする説もある。19世紀後半には、アメリカ合衆国、ルーマニアロシア帝国コーカサス地方が石油の産地であった。

1863年ジョン・D・ロックフェラーオハイオ州クリーブランドで石油精製業に乗り出し、1870年スタンダード石油を設立した。同社は事業統合を重ね、1884年にはアメリカ合衆国全体の石油精製能力の77%、石油販売シェアは80-85%に達した。その後あまりに巨大化したスタンダード石油に対し、世論の反発が起き、1890年に成立したシャーマン反トラスト法により、同社は34の会社に解体された。ただし、消滅したわけではなく、分割されただけである。スタンダード石油が前身となって、今日のエクソンモービルシェブロンなどの旧7大メジャーができた。

1858年には、最初の実用内燃機関として、石炭ガスで動作するルノアール・エンジンが発明され、1876年にドイツ帝国のニコラウス・オットーが、4ストローク機関オットーサイクルを発明した。1870年頃には石油から灯油を採った後に残るガソリンは、産業廃棄物として廃棄されていたが、1883年ゴットリープ・ダイムラーが、液体燃料であるガソリンを用いられる内燃機関を開発、1885年にダイムラーによる特許が出される。同年、ドイツ帝国のカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良した[20]自動車の動力源には、蒸気機関や電気も用いられていたが、20世紀初めまでにこれらは衰退した。このような技術革新により、19世紀後半以降石油の普及が促進された。

日本でも明治初期には、輸入ランプ用の灯油が普及し、文字どおり「灯りの油」として広く利用されるようになった[21]
第二次世界大戦まで

19世紀末の自動車の商業実用化、20世紀初めの飛行機の発明は、ガソリンエンジンと切り離しては考えられない。船舶も重油を汽缶(ボイラー)の燃料にするようになった。

石油自体は珍しくないが、大量生産できる油田は少なく、発見が困難であったため、石油産地は地理的に偏った。戦車軍用機軍艦などの燃料でもあったことから、20世紀半ばから後半にかけて、石油は戦略資源となった。

20世紀前半には、ベネズエラインドネシアが石油の輸出地に加わった。この当時、世界の石油生産はアメリカ、ソ連、そしてベネズエラが多く占めていた。その中でもアメリカ合衆国は約70パーセントを占めていた。
第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、石油の新たな用途として、既に戦前に登場していた化学繊維プラスチックが、あらゆる工業製品の素材として利用されるようになった。また、発電所の燃料としても石油が利用された。

また、中東に新たな大規模油田が相次いで発見された。中東は良質の優れた油田が多いだけでなく、人口が多くなく現地消費量が限られているため、今日まで世界最大の石油輸出地域となっている。

石油の探査には莫大な経費と高い技術が必要となるが、成功時の見返りもまた莫大である。必然的に石油産業では企業の巨大化が進んだ。独自に採掘する技術と資本を持たない国では、巨大資本を持った欧米の少数の石油会社に独占採掘権を売り渡した。これによって石油開発の集中化はさらに進み、石油メジャーと言われる巨大な多国籍企業が誕生した。大量産出によって安価になった石油はエネルギー源の主力となった。この変化はエネルギー革命と呼ばれた。

しかし1970年代に資源ナショナリズムが強まると、石油を国有化する国家が相次いだ。1973年から1974年には、第四次中東戦争アラブ石油輸出国機構イスラエル支持国への石油輸出を削減する動きをみせ、オイルショックと世界的な不況をもたらした。
現在

他にも北海メキシコ湾など、世界各地で石油が採掘されるようになると、原油供給が中東に集中していた状況は改善され、石油の戦略性は低下していった。しかし今日でも石油の重要性は低下しておらず、原油価格の変動が、世界経済に与える影響は依然として大きい。

2020年3月、産油国による協調減産体制が終了したところに新型コロナウイルス流行に伴う景気減速が重なり、原油価格が1バレル20ドル台に暴落。生産費用(後述)が比較的高いシェールオイル関連業者は、大きな打撃を受けた[22]。2020年4月1日、大手シェールオイル開発会社の「ホワイティング・ペトロリアム」が破綻し、2020年3月9日の原油価格暴落以来、ニューヨーク証券取引所上場する石油会社としては初の連邦倒産法第11章適用となった[23][24]。6月28日にはアメリカの石油生産1 %、天然ガス生産2 %を担っていた「チェサピーク・エナジー」が資金繰りの悪化から破綻した[25]。シェールオイル関連企業は社債の一種である「ハイイールド債」と呼ばれる信用力は低いが利回りの高い債券(ハイリスク・ハイリターン商品)を発行して、資金を調達しているが、新型コロナウイルスの感染拡大による金融市場の混乱に伴い金利が急上昇し、資金繰りが苦しくなっている。

石油の代替品として、アンモニア水素から直接作りだす合成燃料の研究も行われている[26]
日本の石油事情「日本の石油・天然ガス資源」および「石油元売」も参照

日米貿易は1853年の日米和親条約に始まったが、石油については、1879年にアメリカ人で商船J. A.トムソンの船長チャールズ・ロジャースが知人に頼まれ日本の物産を購入する際、新たな市場としての日本へ貨物として原油を精製した石油を届けている[27]

現在では、新潟県・秋田県の日本海沿岸、および北海道勇払平野)でごくわずかではあるが原油が採掘されている。生産量は年間で63万キロリットル(2014年度)で、国内消費量全体に占める比率は0.3%に過ぎない[28]


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