石毛博史
[Wikipedia|▼Menu]
引退後は柴田佳主也と共に大阪市内のスポーツ用品店に勤務していたが、2009年関西独立リーグ大阪ゴールドビリケーンズ投手コーチに就任(大阪はシーズン終了後、三重スリーアローズとともにジャパン・フューチャーベースボールリーグを結成)。2010年6月に大阪所属の選手8人が野球賭博に関与していたとして解雇され、翌7月に石毛は現役に復帰した[9]。9月28日の香川オリーブガイナーズ戦(リーグが四国・九州アイランドリーグとの間で実施していた定期交流戦)で勝利投手となる[10]。大阪ゴールドビリケーンズが同年限りで解散したため、このときの現役復帰は約3ヶ月で終了。
06BULLS

2011年7月22日、香川オリーブガイナーズ主催で中学3年生を対象とした「香川オリーブガイナーズベースボールアカデミー」の監督に就任することが発表された[11]

2012年からは、06BULLS(当初は関西独立リーグ (初代)、2014年よりBASEBALL FIRST LEAGUE→関西独立リーグ (2代目))のコーチを務める。

2016年10月7日、06BULLSからコーチ兼任で投手として選手登録され、6年ぶりに現役復帰した[12]。10月11日の姫路GoToWORLD戦に登板し、打者13人と対戦して被安打4、奪三振2、与四球1の内容で失点2(自責点1)であった[13]

2017年は、開幕時点では選手登録されていなかった[14]
06退団後

2018年には富山県のバンディッツヤングという少年野球チームの指導者となる[7]。バンディッツヤングでは2012年からコーチなどを務めていた[15]。2018年10月に、バンディッツヤングの上位のクラブチームであるバンディッツベースボールクラブ(2021年より企業登録チーム・IMF BANDITS 富山)監督に就任することが決定した[15]。同月に妻と大阪から富山に移住した[16]。2019年の報道ではチームの練習に参加しており、球速は130km/hは出ると記されている[16]。その後、コーチ登録に変更されている。

2020年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとして契約を締結。富山エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[17]
詳細情報
年度別投手成績




















h

h























h






W
H
I
P

1991巨人230000011--.00016338.22812003434013133.031.24
19925200005316--.62535788.147551521236016131.321.11
19934800006530--.54527967.04343720852023222.961.19
19944500005419--.55622151.24352801532018183.141.37
19953800004311--.57121348.24073441401123224.071.52
1996230000413--.80015433.13242420284015133.511.68
1997近鉄1813000430--.57130368.16164900413036324.211.61
199884000010--.0009718.2241190092016157.232.30
1999281000020--.00023250.24843220505027234.091.58
2000460000241--.33327462.14863633743028253.611.35
2001250000312--.75012930.12781301280017175.041.32
200220000000------102.041000000229.002.00
2003阪神170000110--.5007519.1949001920873.260.93
200420000000------71.040000100400.004.00
通算:14年37518000342983--.5402514580.14585635218115943412462223.441.40


各年度の太字はリーグ最高

タイトル

最優秀救援投手:1回 (1993年)

表彰

ファイアマン賞:1回 (1993年)

JA全農Go・Go賞:1回 (救援賞:1993年7月)

東京ドームMVP:1回 (1992年)

ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:1回 (1993年)

記録
初記録


初登板:1991年4月18日、対
横浜大洋ホエールズ戦(東京ドーム)、6回表に救援登板、2回無失点

初セーブ:1991年5月3日、対阪神タイガース戦(東京ドーム)、9回表1死に救援登板・完了、2/3回無失点

初勝利:1992年6月10日、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)、8回裏に救援登板、2回無失点

その他の記録


オールスターゲーム出場:1回 (1993年)

独立リーグでの投手成績














h




















h






W
H
I
P

2010大阪1401011.0005914.2121201710321.230.95
20160610000----132.14010200213.862.14
JFBL通算:1年1401011.0005914.2121201710321.230.95
BFL通算:1年10000----132.14010200213.862.14

背番号

93 (1989年 - 1990年)

59 (1991年 - 1994年)

24 (1995年 - 1996年)

17 (1997年 - 2002年)

48 (2003年 - 2005年、2009年 - 2010年、2012年 - 2017年)

脚注^ 矢崎『元・巨人』144頁


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:39 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef