石川鉄道
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白山地域は木材や木炭、たばこなどの産地であり、貨物の需要が見込めることから、1912年8月予備役陸軍工兵大尉の木尾久雄ら8人により金沢市街六斗林から鶴来町を結ぶ軌間1067mm電気鉄道敷設を出願し、1913年4月鉄道敷設の許可が下りた。この計画には才賀電機商会の才賀藤吉も参加しており、技術供与や資金提供などが期待されていた。

ところが才賀電機商会の破綻により才賀関係者が手を引き資金の目処がたたなくなった。急遽他の出資をもとめた結果、愛知県の建設業栗田末松(栗田組)が参加することとなり、株式の過半は栗田関係者がもち、社長も愛知県在住の笹原辰太郎が就任し、1914年石川電気鉄道株式会社[10]が設立された。

その間には鉄道用地の買収難、野々市村の路線誘致運動や松金馬車鉄道と並行線問題がおこり、路線の経路は二転三転したが最終的に国鉄野々市駅(現在の西金沢駅)に接続するように変更した。また不況の影響と資材の高騰から軌間1067mmと電化は断念し、軌間762mm蒸気機関車による方式にあらため、1915年6月に中古の蒸気機関車3両、日本車輌の新製の客車4両と貨車6両で新野々市駅(現在の新西金沢駅) - 鶴来駅間を開業し社名を石川鉄道[11]と改めた。

1921年10月に金沢電気軌道が石川鉄道を買収しようとする計画が表面化した。ちょうど金沢電気軌道が金野鉄道を合併し電化改良工事をしており、石川鉄道を加えれば金沢市南部の物資を金沢市に移送することができる。また交通機関の統一のため石川県知事や鉄道省は合併容認の意向を示していた。県内株主達はようやく経営が安定したところで売却されることに反発したが、栗田をはじめとする愛知在住の大株主達は株式を金沢電気軌道に譲渡することとなり、1923年に合併が決まった[12]

輸送収支実績(石川鉄道)年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)その他損金(円)支払利子(円)政府補助金(円)
191580,6751,1927,7874,9872,800
1916130,1739,10518,49416,0312,463257
1917153,25510,69626,63223,0063,626雑損金8134,0184,554
1918165,93616,36536,51931,2175,302雑損金862政府補助金返納8723,7884,363
1919204,05220,10559,23741,58717,650政府補助金返納6044,845977
1920207,19620,62977,95445,50532,449雑損金389,835
1921228,87419,54476,37742,52233,855
1922281,38023,79691,18043,31347,867


鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版

金野軌道(きんやきどう)

1913年国鉄野々市駅(現在の西金沢駅)から犀川南岸を結ぶ貨物輸送を目的とした馬車軌道金石馬車鉄道(金石電気鉄道)の社長であった横山俊二郎[13]が個人で軌道条例に基づき出願した。8月に特許を取得したが、鉄道用地取得に手間取り、1915年3月になって工事着手、野々市駅から野町までの区間が竣工し1916年1月営業を開始した。しかしその後も工事は遅々として進まず結局終点を犀川南岸から白菊町に短縮して、1916年8月になり新野々市 - 野町 - 西金沢(後の白菊町駅)が全通した。なお1916年に個人から会社組織にし金野軌道株式会社になったが、横山家で全株式の過半をしめていた。その後馬車鉄道は既に時代遅れであることから1919年4月に蒸気鉄道に変更することに決定[14]。社名を金野鉄道に変更し、資本金を20万円にしたが、実現しないまま1920年7月金沢電気軌道に合併された。

輸送収支実績(金野軌道)年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)客車貨車
191655,6011743,2942,73955542
191766,7835224,0823,19388952
191882,7502,5405,7894,96482552
191999,2003,7677,6129,636▲ 2,02452
192042,1783,9144,486▲ 572
192035,2082,7682,923▲ 1553
19215,7625071,007▲ 5004


鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版

1920年度途中から馬力のまま金沢電気軌道と合併。1922年度馬力廃止

年表

1913年大正2年)4月22日 - 石川電気鉄道に対し鉄道免許状下付(金沢市六斗林-鶴来町間 軌間1067mm 動力電気)[1][15]

1915年(大正4年)

6月22日 - 石川電気鉄道が新野々市駅(現在の新西金沢駅) - 鶴来駅間(762mm軌間・蒸気動力)を開業[1][16][17][18][19][20]

6月30日 - 石川電気鉄道が石川鉄道に改称[1][21]


1916年(大正5年)

1月14日 - 金野軌道が野町駅 - 新野々市駅間(890mm軌間・馬力)を開業[1][23]

8月30日 - 金野軌道が西金沢駅(後の白菊町駅) - 野町駅間を開業[22][24]

12月1日 - 石川鉄道が野々市連絡駅(現在の野々市駅)開業[25]


1919年(大正8年)8月18日 - 金野軌道が金野鉄道に改称[1][22]

1920年(大正9年)

3月1日 - 石川鉄道が野々市連絡駅 - 大額駅(現在の額住宅前駅)間の上野々市駅(初代)廃止[26]

3月15日 - 石川鉄道が野々市連絡駅を上野々市駅(2代)に改称[27]

7月15日 - 金沢電気軌道が金野鉄道を合併[1][22]


1921年(大正10年)8月1日 - 石川鉄道が新野々市駅 - 鶴来駅間を1067mmに改軌、直流600V電化[1][28]

1922年(大正11年)10月1日 - 金沢電気軌道が西金沢駅 - 新野々市駅間の軌道線(元の金野軌道線)を廃止し[1]、1067mmに改軌・電化して地方鉄道線として開業[1][20][28]、石川鉄道線と直通運転を開始[1]

1923年(大正12年)5月1日 - 金沢電気軌道が石川鉄道を買収[1][20][28]

1925年(大正14年)

5月1日 - 西金沢駅を白菊町駅に改称[29]

9月5日 - 日御子駅開業[30]


1926年(大正15年)2月10日 - 新野々市駅を新西金沢駅に、上野々市駅(2代)を野々市駅に改称[31]

1927年昭和2年)

8月17日 - 三十苅駅開業[32]

12月28日 - 金名鉄道(きんめいてつどう)が鶴来駅 - 神社前駅(後の加賀一の宮駅)間(1067mm軌間・蒸気動力)を開業[33][34]


1929年(昭和4年)

3月11日 - 金名鉄道が鶴来駅 - 神社前駅間を金沢電気軌道に譲渡[20][33][34][35]


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