石川達三
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戦後の1946年4月10日第22回衆議院議員総選挙東京2区で、日本民党(にほんたみのとう)公認候補として立候補するが、立候補者133名のうち、定数12名の22位にあたる24,101票で落選[注 5]

婦人参政権不要論を唱えたこともあり、長谷川町子の『いじわるばあさん』でネタとして取り上げられた。主人公・いじわるばあさんが執筆活動を妨害するが、達三ではなく、間違えて松本清張の執筆を妨害するというオチであった[54]

昭和20年10月2日付の毎日新聞に、「闇黒時代は去れり」という文章を投稿し、「日本人に対し極度の不信と憎悪を感ず」「今の日本人の根性を叩き直すためにマッカーサー将軍よ一日も長く日本に君臨せられんことを請う」と書いた。当時これを読んだ山田風太郎は、その態度の豹変ぶりと議論の浅薄を憤慨し、日記に残している[55]

明治38年生まれが交流する「三八会」に参加していた。メンバーは石川の他に、伊藤整中山正善稲生平八(森永重役)、入江相政玉川一郎木村義雄高木健夫志村喬福田久雄福田蘭堂藤原釜足馬淵威雄成瀬正勝鹿島孝二[56]

1970年のノーベル文学賞選定過程で、石川が候補の一人として推薦されていたことが2021年に明らかになった。なお、同年では伊藤整もリストアップされていた[57]。推薦者はいずれも芹沢光治良(当時日本ペンクラブ会長)である[58]

著書

『最近南米往来記』昭文閣書房 1931年
中公文庫 1981年

『蒼氓』改造社 1935年 のち新潮文庫

『深海魚』改造社 1936年 のち角川文庫

『飼ひ難き鷹』新英社 1937年

『日蔭の村』新潮社 1937年 のち文庫

『炎の薔薇 新小説選集』春陽堂 1938年

『あんどれの母』版画荘文庫 1938年

『流離』竹村書房 1938年

『結婚の生態』新潮社、1938年 のち文庫

『若き日の倫理』実業之日本社 1939年 のち新潮文庫

『智慧の青草』新潮社 1939年 のち角川文庫

『薫風 自選作品集』婦人文化社出版部 1940年

『盲目の思想』砂子屋書房(黒白叢書) 1940年

『転落の詩集』新潮社 1940年 のち文庫

『花のない季節』中央公論社 1940年 のち文庫

『人生画帖』新潮社、1940年 のち角川文庫

『武漢作戦』中央公論社 1940年 のち文庫

『大地と共に生きん』青梧堂 1940年

『愛の嵐』実業之日本社 1940年

『使徒行伝』新潮社 1941年

『赤虫島日誌』八雲書店 1943年

生きてゐる兵隊河出書房 1945年 のち角川文庫、新潮文庫、中公文庫

『心猿』八雲書店 1946年 のち角川文庫

『望みなきに非ず』読売新聞社 1947年 のち新潮文庫

『ろまんの残党』八雲書店 1947年 のち中公文庫

『母系家族』春陽堂 1948年 のち角川文庫

『石川達三選集』全14巻 八雲書店 1948年-1949年

『風雪』新潮社 1948年

幸福の限界』蜂書房 1948年 のち新潮文庫

『群盲』洗心書林 1949年

『心の虹』実業之日本社 1949年

『書斎の憂欝』六興出版社 1949年

泥にまみれて』新潮社 1949年 のち文庫

『暗い歎きの谷』文藝春秋新社 1949年 のち角川文庫

風にそよぐ葦』新潮社 1950年-1951年 のち文庫

『古き泉のほとり』新潮社 1950年 のち角川文庫

神坂四郎の犯罪』新潮社 1950年 のち文庫

『薔薇と荊の細道』新潮社 1952年 のち文庫

『最後の共和国』中央公論社 1953年 のち新潮文庫

『青色革命』新潮社 1953年 のち文庫

『地上の富』新潮社 1953年

『誰の為の女』大日本雄弁会講談社 1954年 のち文庫

『思ひ出の人』北辰堂 1954年

『悪の愉しさ』大日本雄弁会講談社 1954年 のち角川文庫

『不安の倫理』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス)1955年

『自分の穴の中で』新潮社 1955年 のち文庫

『巷塵』角川小説新書 1955年 のち文庫

『親知らず』中央公論社 1955年

四十八歳の抵抗』新潮社 1956年 のち文庫

『悪女の手記』新潮社 1956年 のち文庫

『自由詩人』河出新書 1956年

『石川達三作品集』全12巻 新潮社 1957年-1958年

『夜の鶴』大日本雄弁会講談社 1957年 のち文庫

『人間の壁』新潮社 1958年-1959年 のち新潮文庫、岩波現代文庫

『骨肉の倫理』文藝春秋新社 1959年 のち角川文庫

『野育ちの鳩』東方社 1960年

『私の少数意見』新潮社 1960年

『頭の中の歪み』中央公論社 1960年 のち角川文庫

『現代知性全集26 石川達三集』日本書房 1960年

『充たされた生活』新潮社 1961年 のち文庫

『僕たちの失敗』新潮社 1962年 のち文庫

『愛の終りの時』新潮社 1962年 のち文庫

傷だらけの山河』新潮社 1964年 のち文庫

『誘惑』新潮社 1964年 のち文庫

『稚くて愛を知らず』中央公論社 1964年 のち角川文庫

『私ひとりの私』文藝春秋新社 1965年 のち講談社文庫

『花の浮草』新潮社 1965年 のち文春文庫

『洒落た関係』文藝春秋新社 1965年 のち新潮文庫

『私の人生案内』新潮社 1966年

金環蝕』新潮社 1966年 のち文庫、岩波現代文庫

『約束された世界』新潮社 1967年 のち文庫

青春の蹉跌』新潮社 1968年 のち文庫

『心に残る人々』文藝春秋 1968年 のち文庫

『愉しかりし年月』新潮社 1969年 のち文春文庫、新潮文庫

『あの男に関して』新潮社 1969年

『経験的小説論』文藝春秋 1970年

『作中人物』文化出版局 1970年

『開き過ぎた扉』新潮社 1970年 のち文庫

『人生の文学』大和書房(わが人生観)1970年

『解放された世界』新潮社 1971年 のち文庫

『私の周囲・生活の内外』大和書房 1971年

『現代の考え方と生き方』大和書房 1971年

『流れゆく日々』全7巻 新潮社 1971年-1977年

『石川達三作品集』全25巻 新潮社 1972年-1974年

『人物点描』新潮社 1972年

『自由と倫理』文藝春秋(人と思想) 1972年

『その最後の世界』新潮社 1974年 のち文庫

『人間と愛と自由』1975年 新潮文庫

『生きるための自由』新潮社 1976年 のち文庫

『青春の奇術』1976年 新潮文庫

『時代の流れとともに』1977年 新潮文庫

『不信と不安の季節に』1977年 文春文庫

『独りきりの世界』新潮社 1977年 のち文庫

『包囲された日本』集英社 1979年

『小の虫・大の虫』新潮社 1979年

『もっともっと自由を…』新潮社 1979年 のち文庫

『七人の敵が居た』新潮社 1980年 のち文庫 - 春木猛事件を追ったもの

『星空』新潮社 1981年

『裏返しの肖像』新潮社 1981年

『その愛は損か得か』新潮社 1982年 のち文庫

『恥かしい話・その他』新潮社 1982年

『若者たちの悲歌』新潮社 1983年 のち文庫

『いのちの重み』集英社 1983年

『徴用日記その他』幻戯書房 2015年

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 叔父の六郎はジャーナリストで、「国民新聞」編集部長、「東京朝日新聞」校閲部長をつとめた。
^ なお、「幸福」は、紙面上の都合で大阪朝日新聞に連載されず、他の当選作と共に『群青』(朝日新聞社、1928)に収録された。
^ 毎日新聞社編『読書世論調査30年―戦後日本人の心の軌跡―』76頁以下(毎日新聞社、1977)によると、調査開始の1949年から1976年までの28回のうち、ベスト10に入ったのは19回で5位。なお、1位は夏目漱石と吉川英治の28回(全回)で、石坂洋次郎(26回)、川端康成(22回)が続く。その後の石川の順位は、1977年度12位、78年度10位、79年度7位、80年度11位で、以後は順位が落ちていった。ちなみに、同調査では、1955年度から「好きな著者とその最も好きな著書」を合わせて聞く形式をとっていたが、『人間の壁』は、1958年度から1970年度まで13回連続1位であった。
^ 次期会長に選出された中村光夫、高橋健二両理事が就任を辞退したため、やり直し選挙となったが、「役員は任期満了となっても、後任者が選出されるまではその職務を行うものとする」というペンクラブの定款上石川がペンクラブ会長という解釈も成り立ち得た。
^ 同区トップ当選の加藤シヅエは、138,496票。石橋湛山も同区から立候補し、20位の28,044票で落選している

出典^ 山田博光「石川達三」『国民百科事典〔1〕』385頁(平凡社、1976)、勝山功「石川達三」『万有百科大事典1 文学〔2版〕』48頁(小学館、1973)。
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