石川 忠久
いしかわ ただひさ人物情報
生誕 (1932-04-09) 1932年4月9日
日本・東京都
死没2022年7月12日(2022-07-12)(90歳没)
出身校東京大学 文学部 中国文学科 卒
学問
研究分野中国文学
研究機関二松学舎大学
学位文学博士
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石川 忠久(いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9日[1] - 2022年〈令和4年〉7月12日[2])は、日本の中国文学者。学位は、文学博士。号は岳堂。
二松学舎大学名誉教授・顧問、桜美林大学名誉教授、日本中国学会顧問、全国漢文教育学会
会長、斯文会理事長、六朝学術学会顧問、全日本漢詩連盟会長、漢字文化振興会会長。漢詩の著書・編著多数。1932年、東京府豊多摩郡代々幡町(現 渋谷区代々木)生まれ[3]。幼少期を満州国で過ごし、朝鮮で終戦を迎える[1]。東京都立第四新制高等学校(現 東京都立戸山高等学校)を経て、1951年東京大学教養学部文科二類に入学[1]。1955年東京大学文学部中国文学科卒業[1]。1958年同大学院人文科学研究科修士課程修了、1962年同大学大学院博士課程単位取得退学[1][4]。1992年、「陶淵明研究」で文学博士(東京大学)を取得した[1]。
1966年桜美林大学文学部助教授となり[1]、1972年より同教授[1]。1990年に桜美林大学を退職し、名誉教授となる。同年、二松学舎大学教授となり[1]、同大学理事長(1999年-2001年)や学長(2001年-2005年)を歴任した[5]。2005年、二松学舎大学を退職、同大学顧問および名誉教授となった[3]。
学会でも、1980年には日本中国学会理事、1995年理事長、2003年顧問。1984年より全国漢文教育学会
会長、1989年より2019年まで斯文会理事長[3]、1997年より2009年まで六朝学術学会会長[3]など要職を務めた。2003年、全日本漢詩連盟を設立し初代会長に就任[6]。また、テレビ・ラジオの漢詩番組に出演し、わかりやすい解説で親しまれた[7]。2019年の新元号・令和改元の際に、最終候補として示されたうち「文選」典拠の「万和」(ばんな)を考案したと、自身が後に明かしている[8][9][10](他に「和貴」「成教」「正同」「貞文」「貞久」「弘国」「弘大」「泰通」「泰元」「豊楽」「光風」「中同」を合わせ計13案を提出[11][12][13])。
受賞・栄典
2008年 - 瑞宝中綬章[14][15]
2022年 - 正五位[16]
著作
単著
『世界の詩 5 中国』さ・え・ら書房, 1968
『漢詩の世界 そのこころと味わい』大修館書店, 1975
『漢詩の風景 ことばとこころ』大修館書店, 1976
『漢詩のこころ』時事通信社, 1980
『漢詩の楽しみ』時事通信社, 1982
『漢詩への招待』新樹社, 1987/文春文庫, 2005
『漢詩日記』大修館書店, 1989
『長安好日 わが漢詩の日々 石川忠久華甲記念漢詩選集』東方書店, 1992
『漢詩の魅力』時事通信社, 1993/ちくま学芸文庫, 2006
『陶淵明とその時代』 研文出版, 1994、増補版2014
『漢詩を作る』大修館書店・あじあブックス, 1998
『桃源佳境 わが詩わが旅 石川忠久古稀記念漢詩選集』東方書店, 2001
『唐詩選のことば』斯文会, 2002
『石川忠久 漢詩の講義』大修館書店, 2002