石川ひとみ
[Wikipedia|▼Menu]
1979年から1982年までNHK人形劇プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し[8]、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めた。

両親と約束した4年間の"タイムリミット"となった1981年、それまでヒット曲に恵まれず「中途半端なままで活動を続けたくない」という意志からこれを最後の曲として歌手をやめるつもりだった[8][6]11枚目のシングル「まちぶせ」が好評で販売枚数も多く、キャンペーンで全国を巡りながら「歌の楽しさを思い出して、辞めるのはやめようと思った」[8]。「まちぶせ」は長期間ヒットチャートの上位にあり、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎたこともあり発売を見送り、代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」を発売した。「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして発売した。

1981年に『NHK紅白歌合戦』に初出場する。
ブレイク以降B型肝炎発病まで

1982年2月にN.S.P.天野滋による「ひとりじめ」、5月に「君は輝いて天使にみえた」を発売し、ファンから評判が高かったものの販売枚数は多くなかった。1982年に、NHK総合あなたのメロディー』で、高校生の川越進が作詞作曲して石川が歌唱した「パープル ミステリー」が年間優秀曲に選ばれ、一部歌詞を改編して1983年2月にシングル「パープル ミステリー」として発売した。

1983年6月に「にわか雨」を発売。キャンペーンでミニFMステーションを模した「にわか放送局」を日本各地で開局し、その場で集めたリクエスト曲やアンケートを元に、DJを織り交ぜた新曲発表会やサイン会を催した。

1983年9月に「」を発売する。脱アイドルを模索し、テレビドラマに出演するほか、露出度が高いグラビア写真を雑誌『GORO』の衝撃館で発表した。その他、『写楽』や『プレイボーイ eyes』などでもセミヌードグラビアを公開し、1984年11月にヌード写真集「心変わり」を発売した。

1984年12月23日に立川WILLで行われたクリスマスライブで、「今まで、色々なことに挑戦してきたが、来年からは歌に全精力を傾けてゆく」と述べた。

1985年5月に「夢回帰線」を発売して、ナリス化粧品のコマーシャルソングに使用された。

1986年4月に「秘密の森」を発売、キャニオン・レコード / NAVレコードからのラストシングルとなった。

1987年(27歳)に初めてのミュージカル「はだかの王様」で主演するも、公演まで1週間を切ったリハーサル中にひどいめまいに襲われた[4]。病院で診察を受けるとめまいとは別に、B型肝炎を発症していることが偶然判明し、急遽入院することになった[注釈 3]。スタッフとして石川を支えていた山田直毅は、発病前と変わらずに接して精神的に支えた。
休業から活動再開後

退院後に渡辺プロダクションと契約が破棄されて芸能界を退いたが、1988年に活動再開する。本人の場合、母子感染でB型肝炎のキャリアになったが、この頃から本人にとって病気への誤解と偏見による辛い日々が続いた[4]。最も辛かったのは、病気公表後からしばらくは街なかで握手を拒まれたり、通っていた水泳教室で「同じプールで泳いだりすると病気がうつるから教室を辞めて下さい」と言われたことだという[4]

映画『男はつらいよ』の寅さんの大ファンで、友人の斉藤ゆう子と「柴又ツアー」と称して映画ロケ地の柴又界隈を廻った。1990年3月に、新聞の取材を受けるために訪れていたホテルのラウンジで、寅さん役の渥美清と遭遇する。色紙を持ち合わせず無地のレポート用紙にサインをもらい、現在も額縁に入れて大切に保存している[注 2]。この時、渥美からサイン入り写真との交換をリクエストされたため、偶然持っていた自身の写真をお返しとして渥美に渡した。

1993年(34歳)、ミュージシャンでデビュー以来バックバンドを務めていた、作・編曲家の山田直毅と結婚し、結婚式は挙げなかったがその代わりに夫婦でベルギー旅行に行った[4]。その後、1997年から2年間NHK教育母と子のテレビタイム(日曜版)』に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開している。

その後は一五一会によるCDアルバムをリリースしているほか、エイズ肝炎に関する講演活動も取り組んでおり、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。

2023年8月23日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)の番組内で、11年前から指定難病の1つであるシェーグレン症候群と闘っていることを明らかにした[9]
近年の活動

2015年末から浅草のアミューズ・カフェ・シアターでアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始する。

デビュー40周年の2018年に、1983年の「プライベート」以来35年振りで9枚目のオリジナルアルバム「わたしの毎日」を発売し、7月にアルバム発売記念ライブ、10月に40周年記念コンサート、2019年2月に東京と名古屋で追加公演、をそれぞれ開催している。

2021年4月に自身初のライブ配信、5月に初のDVD作品「石川ひとみ LIVE わたしの毎日」を発売。

2022年3月にTOKYO FMホールでの有観客コンサートを収録した初のBlu-ray作品「石川ひとみコンサート2021」を発売。

デビュー45周年の2023年に、5年振り10枚目のオリジナルアルバム「笑顔の花」を発売、10月に「45周年記念コンサート?笑顔の花?」を開催、11月に2021年以来2回目となるビルボード公演を大阪と横浜で開催。
ディスコグラフィ
シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
NAVレコード
11978年
5月25日A面右向け右三浦徳子宮川泰竜崎孝路N-29
B面ピピッと第六感丹羽応樹
21978年
9月5日A面くるみ割り人形馬飼野康二大村雅朗N-32
B面タイトロープ岡田冨美子
31979年
1月21日A面あざやかな微笑森雪之丞西島三重子N-37
B面らぶ・とりーとめんと大村雅朗
41979年
4月21日A面ひとりぼっちのサーカス谷山浩子大村雅朗N-42
B面ムーンライト・ドリーム森雪之丞馬飼野康二
51979年
6月21日A面プリンプリン物語石山透馬飼野康二N-44
B面ハッピー・アドベンチャー
61979年
8月21日A面ハート通信[注 3]松本隆吉田拓郎馬飼野康二N-47
B面人の気も知らないで…野原理香穂口雄右
71979年
12月21日A面ミス・ファイン康珍化伊藤薫井上鑑N-49
B面サンシャイン・モーニング谷川夕里西島三重子大村雅朗
81980年
4月21日A面オリーブの栞三浦徳子馬飼野康二N-50
B面空色のフォトグラフ
91980年
9月5日A面秋が燃える岡田冨美子佐瀬寿一渡辺茂樹N-54


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:94 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef