石塚 運昇(いしづか うんしょう、1951年5月16日[1][2][8] - 2018年8月13日[12])は、日本の声優、俳優、ナレーター[9]、演出家。青二プロダクション最終所属[10]。福井県勝山市出身[4][5][6]。既婚者。
主に朗読指導を行う「石塚運昇 リーディングカンパニー」主催。参加者によるリーディング劇も行っており、舞台俳優・声優の経験を基に演出、演技指導を手がけた。 福井県立勝山高等学校[7]時代に山岳部で、インターハイに出場したことがある[6]。高校2年生の頃、予餞会で初めて人前で芝居をしたのがきっかけとなり、役者としての情熱が沸き起こる[3][6]。 高校卒業後上京し、アルバイトニュースで配達のアルバイトをしていたという[3]。その会社のビル内にあった喫茶店のマスターと仲が良くなり、「なんか事業やろうよ」という話から「元手がかからずに儲かるのは屋台じゃないか」と、東京体育館の裏側通りに並んでいた屋台の中で一番繁盛していたラーメン屋に2人で飛び込み「屋台経営を教えてほしい」と頼んだという[3]。店主から荷台の付いているスバル・サンバーを30万円で譲ってやると言われて買い、夕方6時から夜中の2時3時まで屋台でかけうどんやそばを売るという生活を1年ほどしていたが、屋台の場所が偶然、劇団四季と劇団青年座の中間にあり、夜中に「妙な連中がたくさん来るな」と思い、ある日、客として来ていた人に「毎晩何をやっているんですか」と聞くと「芝居をやっている」と返答され、そこで初めて役者という人種を見て、自身の高校時代の芝居経験を思い出したという[3]。その屋台には劇団四季の代表だった浅利慶太も食べに来ていたが、当時は紹介されても「へぇ?」という感じで、どういう人物か全く知らなかったという[3]。
生涯
生い立ち