石塚運昇
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

青二プロダクション最終所属[10]福井県勝山市出身[4][5][6]。既婚者。

主に朗読指導を行う「石塚運昇 リーディングカンパニー」主催。参加者によるリーディング劇も行っており、舞台俳優・声優の経験を基に演出、演技指導を手がけた。
生涯
生い立ち

福井県立勝山高等学校[7]時代に山岳部で、インターハイに出場したことがある[6]。高校2年生の頃、予餞会で初めて人前で芝居をしたのがきっかけとなり、役者としての情熱が沸き起こる[3][6]

高校卒業後上京し、アルバイトニュースで配達のアルバイトをしていたという[3]。その会社のビル内にあった喫茶店のマスターと仲が良くなり、「なんか事業やろうよ」という話から「元手がかからずに儲かるのは屋台じゃないか」と、東京体育館の裏側通りに並んでいた屋台の中で一番繁盛していたラーメン屋に2人で飛び込み「屋台経営を教えてほしい」と頼んだという[3]。店主から荷台の付いているスバル・サンバーを30万円で譲ってやると言われて買い、夕方6時から夜中の2時3時まで屋台でかけうどんやそばを売るという生活を1年ほどしていたが、屋台の場所が偶然、劇団四季劇団青年座の中間にあり、夜中に「妙な連中がたくさん来るな」と思い、ある日、客として来ていた人に「毎晩何をやっているんですか」と聞くと「芝居をやっている」と返答され、そこで初めて役者という人種を見て、自身の高校時代の芝居経験を思い出したという[3]。その屋台には劇団四季の代表だった浅利慶太も食べに来ていたが、当時は紹介されても「へぇ?」という感じで、どういう人物か全く知らなかったという[3]
キャリア

戸田恵子が在籍する以前の劇団薔薇座に所属していた[13]。当時、屋台をしながらラジオを聴いていたところ、TBSラジオ番組『ナッチャコパック』内で「薔薇座では劇団員を募集しています」と耳にし、稽古場が住んでいたところから近いこともあり、「まあ、やれるわけない」と思っていたが「取りあえず冷やかしで行ってみよう」と試験を受けたところ「おいで」と言われたという[3]。このことは、自分の屋台に役者が客として多く来ていたのが大きなきっかけかもしれないという[3]。屋台は自身が食べるために続けていたが、薔薇座は朝10時から夕方の6時まで稽古をしており、屋台の営業開始が6時だったことから仕込みの時間が全然なく、夜中の2時3時まで商売して3時間ぐらい寝て、朝、多少の仕込みをして稽古に行っていたが、半年ぐらいして過労から血尿が出るようになってしまい、薔薇座は1年少しで退団した[3]

薔薇座に在籍していた頃週に1回、シェイクスピアの講義をしており、当時、劇団四季の研究所の所長に、「シェイクスピアでものすごいおもしろい翻訳をする人がいる」と小田島雄志を紹介され、渋谷ジァン・ジァンシェイクスピア・シアターが舞台を演っていると勧められ観に行ってみたところ、凄く面白く、間の取り方、客に対する反応といい、石塚自身が思っていた芝居観と似ていたという[3]

薔薇座退団後、シェイクスピア・シアター[7]の研究生を経て、劇団員となったが、1年2年経っても役がつかず「やめるやめない」という話になったという[3]。そうこうしていくうちに先輩の1人がやめることになり、抜擢されて初めてカタカナの役をもらったという[3]

当時は今まで兵隊、召使、使者などの役しか演じたことがなかったことから、嬉しかったという[3]。『恋の骨折り損』のラテン語の先生役で台本にもラテン語が書かれていたが、「好きにやっていい」ということから、その頃タモリがTV番組でよくやっていたタモリ語を真似して「では行きましょう」というただ一言をラテン語っぽく1分間ぐらい繰り返し言って、客が「へぇ?っ」となった頃「すなわち、では行きましょう」と演じてみたところ、大いにウケたという[3]。総じて10分ぐらいしか出演していないが、ギャグをした時に観客が笑いながら波のようにうねったのを見て「客ってこうやって動くのか」と思ったという[3]

それに対抗していたのが創立メンバーの佐野史郎で、当時の佐野はコメディぽい役を演じていたが、今イチうけず、当時の石塚の初日の時はこわかったことから全然うけなかった[3]。その時は「俺がやったって笑うわけないだろうな、客は俺のこと知らないんだし」とあまりにも自信がなかったという[3]。この時、「喜劇って人をのんでかかるところがないとダメだ」と凄く勉強させてもらったという[3]。「これぐらいでいいですか」と芝居したって絶対に客は笑わず、「おー、おめぇよく来たな。今日は笑わしてやるからな」という強いものをもたなくてはならなかったという[3]。初日の時、「こわくてこわくて、ちゃんとしゃべれるかな、最後までやれるかな」というそれだけしかなく、舞台に出演してもこわごわしていたことから客も心配そうに「誰だろう、あれ」となり、終わってから相手方の先輩に「どうせ客はおまえのことを知らないし、笑ってくれないんだから聞き直ってやれ」と、「がぁっ」と言われ、「もう、い?か?、なるようになれ」と思ってしていたという[3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:342 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef