石坂浩二
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NHK大河ドラマ常連俳優の一人で、計11回の出演をしている。最初の出演の『花の生涯』と翌年の『赤穂浪士』には役無しで出演。1965年の『太閤記』で石田三成を演じ、初めて役付きの出演をはたす。1969年の『天と地と』では上杉謙信を演じ、大河ドラマ初主演をはたす。本作は大河ドラマカラー作品の第一作で、武田信玄を演じた高橋幸治とともに人気を博した。1975年の『元禄太平記』でも再び主演をし、柳沢吉保を演じた。1979年の『草燃える』では源頼朝を演じ、北条政子を演じた岩下志麻とともに主演を務めた。計3作品での主演は西田敏行の計4作品に次ぐ。1983年の『徳川家康』では、架空の人物で有力な郷士の竹之内波太郎(後の堺の豪商・納屋蕉庵)役で出演。1995年の『八代将軍吉宗』では、間部詮房役で出演。柳沢吉保役で主演した時と同様の側用人役を再び演じる。1999年の『元禄繚乱』には、吉良上野介で出演し、憎めない新たな吉良上野介像を演じた。2004年の『新選組!』には、開明思想家の佐久間象山役で出演した。最近年の出演は『江?姫たちの戦国?』で、千利休を演じた。また、大河ドラマ関連作品にも出演しており、NHK新大型時代劇の『宮本武蔵』(1984年)では本阿弥光悦役を、NHKスペシャルドラマの『坂の上の雲』(2009年 - 2011年)では山本権兵衛役を演じている。

1970年代前半にはTBSの人気タレント調査で3年連続1位となった。

JNNデータバンク調べによる好感度タレントの支持率調査では、1972年7月に支持率42.6パーセントを記録し、これは同調査において1970年代の第1位の記録である[11]

映画では1976年横溝正史原作・市川崑監督による映画『犬神家の一族』に金田一耕助役で主演し、同年の邦画配給収入2位(13億200万円)のヒットとなり、シリーズ化される当たり役となった(以後、市川作品に常連出演し、『おはん』『ビルマの竪琴』『細雪』などに出演している)。

リメイク版『日本沈没』では首相役に挑んだ。小泉純一郎(元首相)は大学同期。

権勢家の役に配役されることが多く、天皇・征夷大将軍・首相のすべてを演じている。元禄期の大老・柳沢吉保役は、この人物を主役に据えた唯一の映像作品である『元禄太平記』以降、テレビと映画で3回演じた当たり役である。

石井ふく子および橋田壽賀子の作品に多く起用されており、石井組の一員と見なされている。

ナレーターとしても新人時代の『ウルトラQ』『ウルトラマン』(前半)をはじめ、『シルクロード』や『関ヶ原』などで活躍。

私生活では加賀まりことの同棲を経て1971年浅丘ルリ子と結婚するも、ほどなくして別居するようになる。2000年12月、女優である浅丘に実母の介護をさせるわけにはいかないとして離婚。離婚から間もない5日後に2001年1月に再婚を発表[12]大橋巨泉事務所から独立、フリーとなる。

1988年に「劇団急旋回」を結成。自らの脚本・演出によるオリジナル・ミュージカルを数多く上演したが、1996年に解散。

2001年4月から、時代劇水戸黄門』の4代目水戸光圀役に起用された[注 1]。オープニング演出を市川崑が担当し、史実に基づいたストーリー展開、つけ髭をしない・衣装をマイナーチェンジするなど、知的でスマートなインテリ黄門様を演じたが、2002年5月に石坂が直腸癌手術で入院したため、1年余りで降板となった。翌月には復帰したものの、その後はしばらく俳優活動を自粛している。2003年夏に昼ドラのゲスト出演(『貫太ですッ!』)で俳優活動を再開、『白い巨塔』、『新選組!』、『東京湾景』などのテレビドラマにレギュラー出演した。

俳優業のみならず、作家(三田文学会・会員)、司会者やクイズ番組の解答者など多方面で活躍。芸能界屈指の薀蓄を誇り、1980年代後半からの「クイズ王ブーム」の際には、毎回のようにゲスト出演していた。共演者には撮影直前までマイペースで薀蓄を語り続けることで知られる。『白い巨塔』の撮影時、あまりに薀蓄を語るため、共演の唐沢寿明を閉口させたという。

絵画では油彩画に精通し、29歳の時にフジテレビに1000万円を前借しギュスターヴ・モローを絵を購入している[13]二科展1974年から1985年まで連続入選[2]。一貫して裸婦を描いている。これはアマチュア画家で裸婦を描く者が少なかったからだという[注 2]。絵画に関する専門的な教育は受けていないが、東郷青児に師事し、手ほどきを受けている[14]。また、繊細で写実的な画風で「孤高の画家」とも呼ばれる画家、牧野邦夫の作品コレクターとしても知られている[15]2004年からは横浜市青葉区内で自身がボランティアで講師を務める絵画教室「HEY ART CLUB」を主催している。

2011年平成23年)4月1日、全国の交通安全協会で初めて公益社団法人となった神奈川県交通安全協会の会長に就任[16][17]。また、広島県呉市戦艦長門軍艦旗[18]を寄贈した縁により、2015年(平成27年)5月9日呉市海事歴史科学館大和ミュージアムの名誉館長として委嘱を受ける[19]。2022年7月3日、事務所の社長とともに第26回参議院議員通常選挙に立候補した生稲晃子の応援演説を行った[20]
エピソード

本名の「兵吉」は、兵隊の「兵」と父・吉二の「吉」からとっている[21]。また名付け親は外祖父の平沼亮三だといわれている[21]

東京生まれ東京育ちだが阪神タイガースファン

カレー作りが得意で、独特のスパイス調合で何種類もの味を作り、自らカンヅメにして共演者に振舞っている。またカレーパンも好物で、著書も出版している。

画家としても知られ、自らの作品の展覧会を度々開催することもある[22]。また、1976年6月26日に開催された異種格闘技戦『アントニオ猪木対モハメド・アリ』戦の広告ポスターを描いた。そのポスターを見たモハメド・アリが「私はこんなに醜い男ではない」と苦笑したという[23]。その猪木対アリ戦で、アントニオ猪木が入場の際に着用したリングガウンも石坂のデザインで製作されたものである。


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