彼らの亜種であるホモ・ハイデルベルゲンシスは、アフリカから出て中東を経由し、30万年ほど前にヨーロッパまで進出したが、使用していた石器は、より古い時代のホモ・エレクトスとそう変わらなかったとされ、両者を別種と見なさない説もある。 1万年前をすぎると人類は煮沸具や貯蔵具、食器として土器を利用するようになり世界各地に普及した[3]。また、土器につづき金属器が世界各地に普及したことで道具は石器は金属器に置き換わっていった[3]。 石器の分類には技術形態学的に基づく分類と機能形態学に基づく二つの体系がある[3]。 代表的な分類にフランスの著名な先史学者フランソワ・ボルド
40万年ほど前に登場したネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスよりも前にホモ・ハイデルベルゲンシスから枝分かれした。彼らはルヴァロア技法という洗練された石器加工技術を持ち、ホモ・サピエンスよりも数十万年も前にヨーロッパにまで進出していた。また、アスファルトなどを使用し石器を他の素材と接着して使用していた痕跡もある。
5?4万年ほど前、ホモ・サピエンスが遅れてアフリカから進出。まもなくネアンデルタール人は絶滅するが、ユーラシア大陸に後からやってきたホモサピエンスと出会い(両者間の争いもあっただろうが)、両者が交わり子孫が生まれるということも起きていたようで、残された骨からDNA解析したところ、ホモサピエンスの遺伝子の1?2%程度がネアンデルタール人由来のものと判明している。[注釈 2])。
石器の衰退
分類の体系
以下は色々な観点からの分類である[7]。 打製石器は人が石に打撃または圧力を加えて石を割ってできあがった石器である[3]。 このうちオルドワン型石器群
石器は、加工方法によって大きく2種類に区分される。石同士を打ち付けたり、あるいは道具を使用して打ち叩くことによって、剥片をはいで道具として使用するのにかなった形に成形する打製石器(だせいせっき)と、石を磨き上げた磨製石器(ませいせっき)[8]とがある。
「石核石器」(せっかくせっき)[注釈 3]、「剥片石器」(はくへんせっき)[注釈 4]という区分もある。
石器製作の過程で大小様々なカケラが出てくる。それらを総称して「石製遺物」という。またそれらは石器・剥片[注釈 5]、石核[注釈 6]、砕片[注釈 7]などに分類される。
砂岩や玄武岩のような礫状のものを材料とした重量のある大型石器と、黒曜石やサヌカイトなどのような緻密な材料の石の剥片を材料とした軽量の小型石器に分けることも多い[5]。
前期・中期・後期の各時期に使用された石器に分類することもある。例えば、前期旧石器時代に主に使用された石器としては、礫器(チョッパー、チョッピング・トゥール)、祖型ハンドアックス、握斧(クリ-ヴァー)、手斧(ハンドアックス)、尖頭石器、祖型彫器(プロト・ピュアリン)、叩石(ハンマー・ストーン)、剥片、ルヴァロア型石核などがある[9]。
打製石器・磨製石器・礫塊石器
打製石器
磨製石器磨製石器製の斧頭(斧の刃)。fr:Museum de Toulouseにて展示。
磨製石器は人が石を磨いてできあがった石器である[3]。
J.ラボックによって新石器時代の指標とされたが、実際には中石器時代に当たる紀元前9000年に北西ヨーロッパや西アジアで局部磨製石器が出現している。
日本列島では後期旧石器時代である3万?4万年前のものと推定される局部磨製石斧が、群馬県岩宿遺跡、栃木県磯山遺跡、長野県野尻湖遺跡群(杉久保遺跡・日向林B遺跡など)、東京武蔵野台地の栗原遺跡、千葉県三里塚55地点遺跡などから出土し、旧石器時代に磨製石器が存在したことが明らかになった[11]。小田静夫によれば、日本列島の旧石器時代の磨製石斧は、3-4万年前に集中し、一旦消滅してその後は縄文時代草創期にならないと出現しないが、現在、世界最古の磨製石器とされる[12][13]。