石原慎太郎
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12月 - 処女作『灰色の教室』を同人誌に発表(復刊第1号)、文芸評論家の浅見淵に評価される[15][16]。
1955年
12月 - 当時17歳だった石田由美子(後に石原典子と改名)と結婚。『太陽の季節』が『文學界』に掲載され、第1回文學界新人賞を受賞。東宝の入社試験に合格し、助監督としての内定を得る。
1956年
1月 - 『太陽の季節』により第34回芥川賞を当時史上最年少で受賞、ベストセラーとなる。一橋大学法学部を卒業。東宝に入社するもまもなく退社し、嘱託となる。『太陽の季節』が日活で映画化され、弟・裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たし、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行する。映画『太陽の季節』が公開された際、登場人物が強姦・不純異性交遊などを行う反社会的内容から映画を見た青少年への影響が取りざたされ、映画倫理委員会(通称、映倫)が作られる契機となった[107]。
1957年
4月19日 - 長男・伸晃が誕生。
1958年
- 東宝で映画『若い獣』の監督を務める。また、大江健三郎、江藤淳、谷川俊太郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対。
1960年
- 隊長として、南米横断1万キロ・ラリーにラビットスクーターで参加[108]。
1962年
1月15日 - 二男・良純が誕生。
1963年
3月 - 『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。
1964年
6月19日 - 三男・宏高が誕生。
1966年
8月22日 - 四男・延啓が誕生。
1967年
- 読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
1968年
7月 - 第8回参議院議員通常選挙で初当選。
1969年
11月 - 『スパルタ教育』を光文社より出版。
1970年
書き下ろし長編『化石の森』を発表。第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1972年
11月25日 - 参議院議員を辞職。
12月10日 - 衆議院選挙に旧東京2区から無所属で立候補して当選。後に自民党に復党。
1973年(昭和48年)
7月 - 「青嵐会」を結成。
1975年(昭和50年)
3月18日 - 衆議院議員を辞職。
4月13日 - 東京都知事選挙に自民党推薦で立候補。233万票を得票するも落選。
1976年(昭和51年)
12月5日- 衆院選で国政に復帰。同月24日発足の福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。
1981年(昭和56年)
- 弟・裕次郎が倒れた際に小笠原諸島から海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京し、公私混同として問題になる。燃料代は160万円かかっていた。
1983年
- 自由民主党の派閥、自由革新同友会を継いで代表就任、後に清和会へ合流。黒シール事件で社会的非難を浴びる。
1987年
7月17日 - 弟・裕次郎が肝細胞がんで死去(52歳)。
11月6日 - 竹下内閣で運輸大臣に就任。
1989年
8月8日 - 自民党総裁選挙に出馬、海部俊樹に敗れる。
『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
1995年
4月14日 - 議員辞職。
1996年
7月 - 弟・裕次郎をテーマに『弟』を発表。数か月後ミリオンセラーとなる。
1999年
4月11日 - 1999年東京都知事選挙に立候補。立候補表明の記者会見での第一声の、「石原裕次郎の兄でございます」という挨拶が話題を呼ぶ。鳩山邦夫、舛添要一、明石康、柿澤弘治ら有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。当選後の会見では「都庁で会おうぜ」という発言が話題を呼ぶ[109]。
2003年
4月13日 - 2003年東京都知事選挙に立候補。308万票(得票率史上最高)を獲得し、樋口恵子、若林義春らを破り再選。
2004年
11月17日 - 21日 - 『弟』テレビドラマ化。
2007年
4月8日 - 2007年東京都知事選挙に立候補。投票の過半数に当たる281万票を獲得し、浅野史郎、吉田万三、黒川紀章らを破り3選。選対本部長は佐々淳行が担った[110]。
2010年
4月10日 たちあがれ日本の応援団長に就任する。
2011年
4月10日 - 一時は3期目での退任を考慮した中で、2011年東京都知事選挙に出馬を決断して、立候補する。東国原英夫、小池晃らを破り、2,615,120票を獲得して四選(得票率は43.4%)。
2012年
10月25日 - 15時から都庁にて緊急記者会見を行い「本日をもって(東京都知事を)辞任し、新党を結成する」と表明[111][112]。会見後に都議会議長に辞表を提出した[112]。
10月31日 - 午後から開催された臨時会で、都知事辞職が同意される[113]。
11月13日 - たちあがれ日本を改称する形で太陽の党を結党。共同代表に就任する[114]。
11月17日 - 太陽の党が日本維新の会に合流。代表に就任[115]。
12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックで当選[116]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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