1980年、長編『狂い咲きサンダーロード』を劇場公開。インディーズ界の旗手として名前が挙がる[3]。1982年、自主映画活動の集大成的な作品『爆裂都市 BURST CITY』を発表。同年、長谷川和彦に誘われディレクターズ・カンパニーの設立に参加[5]。1984年、商業映画としては初の単独監督作『逆噴射家族』を発表。翌年のベルリン国際映画祭で注目され、イタリアの第8回サルソ映画祭でグランプリに輝く[2] など、国内のみならず海外でも高い評価を受ける[3]。
また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』の音楽を担当して、同題名のレコード・アルバムも発売した。
しかし『逆噴射家族』以後は約10年にわたって長編作品が作れない状態が続く。未完の企画として『GOD STONE』『虹のキリン』『箱男』などがある[6]。ウィリアム・ギブスンの映画化や『逆噴射家族』の英語リメイクなど、アメリカで撮影する企画もあったが実現していない[7]。その前後からジャパニーズパンク/ニュー・ウェイヴシーンと共闘した数々のミュージック・ビデオと実験的短編映画製作に打ち込む。1993年、WOWOWのオムニバスドラマ『TOKYO BLOOD』全4話を監督。
1994年、10年ぶりの劇場長編作品『エンジェル・ダスト』が公開。バーミンガム映画祭でグランプリを受賞。以後、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。続いて、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(2000年)が公開される。
21世紀に入ってからは、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)を発表。2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。2006年、監督生活30周年を迎え、記念の初期作品集が発売された。
2010年1月17日、公式ブログで、今後は石井岳龍の名前ですべての活動、仕事を行うと発表[8]。改名については「聰亙」が漢字を間違えられることが多かったこと、初期の作品を集めたDVDが発売済みであること、『狂い咲きサンダーロード』に主演した山田辰夫が2009年7月に亡くなったことなどを理由に挙げている[2]。
監督作品
映画
高校大パニック(1976年)
1/880000の孤独(1977年)
突撃!博多愚連隊(1978年)
高校大パニック(1978年) ※1976年の同名自主映画を澤田幸弘との共同監督で商業リメイク。
神の堕ちてきた日(1979年、アクション監督)
狂い咲きサンダーロード(1980年)
シャッフル (1981年の映画)(1981年)
爆裂都市 BURST CITY(1982年)[9]
アジアの逆襲(1983年)
逆噴射家族(1984年)
半分人間 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(英語版)(1985年)
THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者(1989年)
TOKYO BLOOD(1993年)
エンジェル・ダスト(1994年)
水の中の八月(1995年)
ユメノ銀河(1997年)
五条霊戦記 GOJOE(2000年)
ELECTRIC DRAGON 80000V(2001年)
DEAD END RUN(2002年)
鏡心・3Dサウンド完全版(2005年)
生きてるものはいないのか(2012年)[10]
シャニダールの花(2013年)
ソレダケ / that’s it(2015年)[11]
蜜のあわれ(2016年)[12][13]
パンク侍、斬られて候(2018年)[14]
自分革命映画闘争(2023年)[15]
almost people「長女のはなし」(2023年)[16]
テレビドラマ
私立探偵 濱マイク 第8話 「時よとまれ、君は美しい」(2002年、日本テレビ系)
ネオ・ウルトラQ 第1話「クォ・ヴァディス」、第4話「パンドラの穴」、第8話「思い出は惑星(ほし)を越えて」(2013年、WOWOW)
PV
アナーキー 「'80維新」
ザ・スターリン 「ロマンチスト」「アレルギー」「STOP JAP」