短期議会
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国王寄りの庶民院議員エドワード・ハイドは解散で体制支持の穏健派を敵に回すことを危惧し、ロードにチャールズ1世へ解散の撤回を助言することを求めたが却下され、5月11日には解散に怒った民衆が暴徒と化し、解散の首謀者とされたロードの邸宅(ランベス宮殿)を襲う事件が起きた[2][4]

その後、戦費を得られなかったチャールズ1世はアイルランド議会の協力を得て軍を集めることとなったが、寡兵に過ぎなかった。また、その動きを察知した盟約軍はすぐに動いて両軍は激突し、盟約軍が圧勝した(8月28日第2次主教戦争ニューバーンの戦い)。そしてリポン条約でチャールズ1世に課せられたこの戦争の賠償金のために、11月3日に再び議会が召集されることとなる(1653年まで続いたので、これを長期議会と呼ぶ)[5]
脚注^ 浜林、P75 - P81、今井、P180 - P187、塚田、P97 - P102、清水、P19 - P24。
^ a b 松村、P686。
^ 浜林、P87 - P89、今井、P187 - P189、塚田、P103 - P105、清水、P31 - P33。
^ 浜林、P89 - P91、今井、P191、塚田、P105 - P106、P124 - P126、P186 - P187、清水、P33。
^ 浜林、P91 - P92、今井、P192、塚田、P106 - P107、P126、清水、P33 - P34。

参考文献

浜林正夫『イギリス市民革命史』未來社、1959年。

今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 -近世-』山川出版社、1990年。

松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。

塚田富治『近代イギリス政治家列伝 かれらは我らの同時代人』みすず書房、2001年。

清水雅夫『王冠のないイギリス王 オリバー・クロムウェル―ピューリタン革命史』リーベル出版、2007年。

関連項目

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