その後、戦費を得られなかったチャールズ1世はアイルランド議会の協力を得て軍を集めることとなったが、寡兵に過ぎなかった。また、その動きを察知した盟約軍はすぐに動いて両軍は激突し、盟約軍が圧勝した(8月28日、第2次主教戦争、ニューバーンの戦い)。そしてリポン条約でチャールズ1世に課せられたこの戦争の賠償金のために、11月3日に再び議会が召集されることとなる(1653年まで続いたので、これを長期議会と呼ぶ)[5]。
脚注^ 浜林、P75 - P81、今井、P180 - P187、塚田、P97 - P102、清水、P19 - P24。
^ a b 松村、P686。
^ 浜林、P87 - P89、今井、P187 - P189、塚田、P103 - P105、清水、P31 - P33。
^ 浜林、P89 - P91、今井、P191、塚田、P105 - P106、P124 - P126、P186 - P187、清水、P33。
^ 浜林、P91 - P92、今井、P192、塚田、P106 - P107、P126、清水、P33 - P34。
参考文献
浜林正夫『イギリス市民革命史』未來社、1959年。
今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 -近世-』山川出版社、1990年。
松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。
塚田富治『近代イギリス政治家列伝 かれらは我らの同時代人』みすず書房、2001年。
清水雅夫『王冠のないイギリス王 オリバー・クロムウェル―ピューリタン革命史』リーベル出版、2007年。
関連項目
清教徒革命
イングランドの歴史
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