知識
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フランシス・ベーコンは知識獲得の方法の発展に重大な貢献をした。著作で帰納的方法論を確立し一般化し、現代の科学的探究の礎となったのである。彼の金言「知識は力なり (knowledge is power)」はよく知られている(この金言は 彼の著書『Meditations Sacrae』(1957) に記されている[8])。

scientiaスキエンティアという言葉は元々は単に知識という意味でしかなく、ベーコンの時代でもそうであった。scientific method(scientific methodは元の意味では「知識に関する方法論」)が徐々に発展したことは、我々の知識についての理解に重要な寄与をした。さまざまな経緯を経て、知識の探究の方法は、観測可能で再現可能で測定可能な証拠を集め、それらに具体的な推論規則をあてはめていく形で行われなければならない[9]とされるようになった。現在では科学的方法(scientific method)は、観測実験によるデータ収集と、仮説の定式化と、検証から構成されている、とされている[10]。科学とは「計算された実験によって得られた事実に基づいて推論する際の論理的に完全な思考法」ともされる。そして、科学や科学的知識の性質というのも哲学の主題のひとつとされるようになった(科学哲学)。

科学の発達と共に、生物学や心理学から知識についての新たな考え方が生まれた。ジャン・ピアジェの発生的認識論である。フロイト(1914年)

近年まで特に西洋では単純に、知識とは人間(および)が持てるもの、特に成人だけが持てるものだと見なされていた(東洋では必ずしもそうではなかった)。西洋では時には「コプト文化の持つ知識」といったように社会が知識を持つ、といった言い回しが無かったわけではないが、それは確立されたものではなかった。そしてまた西洋では、「無意識の」知識を体系的に扱うことはほとんどなかった。それが行われるようになったのは、フロイトがその手法を一般化した後である。

上記のような知識以外に「知識」が存在するといわれているものに、例えば生物学の領域では、「免疫系」と「遺伝コードのDNA」がある。(カール・ポパー(1975)[11]とTraill(2008)らが指摘している[12]

このような、生体システムが持つ知識までカバーするためには、「知識」という用語の新たな定義が必要とされるように見える。生物学者は、システムは意識を持つ必要はない、と考えるが、知識はシステムにおいて有効に利用可能でなければならない。すると、次のような基準が出てくる。

システムは一見して動的で自己組織的である(単なる本のようなものではない)。

知識には、「外界 ※」についての何らかの表現、または外界を(直接または間接に)扱う方法が含まれていなければならない。(※ この「外界」には当の有機体の別のサブシステムも含まれる)

システムには有効に働く程度に素早く情報にアクセスする何らかの手段があるはずである。

知識と健康

ハーバード大学医学部によると、知識は最高の薬であり、その情報源が違いを生む。 信頼できる証拠に基づく健康コンテンツに必要な権限と必要な影響を提供する情報源は、間違いなく健康を改善する[13]2021年ハーバード大学の研究では、ウィキペディアなどのネット上の健康情報が正しい診断につながることもあることが示唆されている。 症状と重篤な病気との関連付けを誤ると、多くのストレスにつながる可能性があるが、情報源を確認し、信頼できるものに固執すれば、健康には役に立つ[14]
知識の分類

知識は様々な観点で分類される。カテゴリーは時代によって変化する[15]
宣言的知識 / 手続き的知識

心理学では、知識は長期記憶として扱われ、記憶の分類そのままに、表象化された知識を「宣言的知識」、行動的な知識を「手続き的知識」と分類している。

宣言的知識の例としては、科学的法則についての知見(九九、地球上での重力定数など)や、社会的規約についての知見(「日本の首都は東京である」など)が挙げられる。

手続き的知識の例としては、の使い方、ピアノの弾き方、の運転の仕方などが挙げられる。

前者を「knowing that」 、後者を「knowing how」と呼ぶこともある。
形式知 / 暗黙知

形式化、伝達方法の観点から、知識は「形式知」と「暗黙知」に分類される。ナレッジマネジメントなどの世界で利用される分類である。

暗黙知 とは、宣言的に記述することが不可能か、極めて難しい知見のこと。手続き的知識や直観的認識内容は暗黙知とされる。例えば「美人」についての知識は誰でも持っているが、それを明確に定義することはできない。
アプリオリな知識 / アポステリオリな知識

哲学生物学的な立場から、人間に生まれながらにして備わっている知識を「アプリオリな知識(先天的知識)」、誕生後に社会生活などを通して獲得する知識を「アポステリオリな知識(後天的知識)」と分類することもある。

アプリオリな知識が存在するかどうかは認識論において長年の問題であった。大陸合理論の系譜においてはデカルトをはじめ、なんらかのアプリオリな知識を認める立場が主流であった。このような立場を生得説という。

イギリス経験論においてはアプリオリな知識の存在を否定し、心を白紙としてみる経験主義の立場がロックらによって提唱された(→タブラ・ラサ)。
理論的知識 / 実践的知識 

理論的な知識と実践的な知識に分けられる[15]。これは、哲学者の知識と実践者の知識との区別であり、また「科学」(scientia)と「技芸」(ars)との区別とも言われた[15]
不完全な知識

認識論の一分野では不完全な知識 (partial knowledge) に着目する。ある分野について徹底的な理解を達成することは現実にはほとんどあり得ないため、我々は自らの知識が「完全でない」すなわち不完全だという事実を念頭に置いておく必要がある。現実世界の問題の多くは、その背景やデータについての不完全な理解の中で解決しなければならない。それに対して、算数や初等数学の問題は全てのデータと問題を解くのに必要な方程式についての完全な理解があって初めて解けるという点で大きく異なる。

この考え方は限定合理性とも関係が深い。
脚注[脚注の使い方]
出典^ 『岩波哲学小事典』
^ “ ⇒Part Three, No. 1831”. Catechism of the Catholic Church. 2007年4月20日閲覧。
^ Q 2:115
^ Swami Krishnananda. “ ⇒Chapter 7”. The Philosophy of the Panchadasi. The Divine Life Society. 2008年7月5日閲覧。
^ Kirkham, Richard L. ⇒Does the Gettier Problem Rest on a Mistake?
^ Ludwig Wittgenstein, On Certainty, remark 42
^ Gottschalk-Mazouz, N. (2008): ?Internet and the flow of knowledge“, in: Hrachovec, H.; Pichler, A. (Hg.): Philosophy of the Information Society. Proceedings of the 30. International Ludwig Wittgenstein Symposium Kirchberg am Wechsel, Austria 2007. Volume 2, Frankfurt, Paris, Lancaster, New Brunswik: Ontos, S. 215-232. ⇒http://sammelpunkt.philo.at:8080/2022/1/Gottschalk-Mazouz.pdf
^ “ ⇒Sir Francis Bacon - Quotationspage.com”. 2009年7月8日閲覧。
^ "[4] Rules for the study of natural philosophy", Newton 1999, pp. 794?6, from the General Scholium, which follows Book 3, The System of the World.
^scientific method, Merriam-Webster Dictionary.
^ 詳しくはPopper, K.R. (1975). "The rationality of scientific revolutions"; in Rom Harre (ed.), Problems of Scientific Revolution: Scientific Progress and Obstacles to Progress in the Sciences. Clarendon Press: Oxford.


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