知覚の哲学
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

こうした知覚経験の一人称的特徴は、本質的に三人称的である科学的枠組みでは捉えられないものとされる[2]。 たとえば、知覚経験の現象的性格が内在的か外在的か(知覚経験の現象的性格は経験主体の脳状態によって決定されるのか、外的な要素も関与してくるのか)という点や、それが表象的か非表象的か(知覚経験の現象的性格は世界のあり方を表すようなものなのかどうか)という点が問題となる。また、私たちが知覚経験を通じて世界についての知識を得るというのは確かだと思われるが、知覚経験がどのような仕方でそうした知識獲得に貢献しているのかは明らかではない。特に、知覚経験は私たちの信念を正当化するために用いられるように思われるが、そうした正当化的役割を純粋に科学的な枠組みで扱うのは困難であるとされる[3]。私たちが世界について知るために知覚経験が果たす貢献の仕方を特定することも、知覚の哲学における重要な研究テーマである。
脚注^ William Fish (2010). Philosophy of Perception, Routledge: 1-2 (『知覚の哲学入門』山田圭一監訳、源河亨・國領佳樹・新川拓哉訳、勁草書房、2014年 ISBN 4326102365
^ David Chalmers (1997). The Conscious Mind. Oxford University Press. ISBN 0-19-511789-1.(=『意識する心 : 脳と精神の根本理論を求めて』林一訳、白揚社, 2001年 ISBN 4826901062
^ John McDowell (1996). Mind and World. Harvard University Press. ISBN 0674576101 (=『心と世界』神崎繁・河田健太郎・荒畑靖宏・村井忠康訳、勁草書房、2012年 ISBN 4326154217

典拠管理データベース: 国立図書館

イスラエル

アメリカ


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6705 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef