知恩院
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江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。

宝永7年(1710年)、それまで勢至堂の前にあった阿弥陀堂を現在地に移している。また、霊元上皇より宸翰と「華頂山」の勅額を賜っている。

1947年昭和22年)、知恩院は法然上人御廟を中心とする「一宗一元運動」を提唱すると、12月8日、知恩院は自らを本山とする本派浄土宗(後に浄土宗本派に改称)を結成し、浄土宗から分派する。1950年(昭和25年)には法然上人御廟の向かいにある一心院が浄土宗捨世派を結成して浄土宗から分派した。しかし、1961年(昭和36年)の法然上人750年忌を機に、翌1962年(昭和37年)に知恩院と浄土宗本派は浄土宗に合流し、知恩院が再び浄土宗の総本山となった。

2011年平成23年)に御影堂の半解体をともなう大修理を発願し、8年計画で屋根瓦の全面葺き替えをはじめ腐朽、破損箇所の取り替えと補修、軒下の修正、耐震診断調査に基づく構造補強などを行い、2019年令和元年)にひとまず竣工し、内装などの復元を行って2020年(令和2年)4月13日に落慶法要が行われた[3]。一度外されて補修された屋根が2016年(平成28年)に再び御影堂に載せられた。なお、解体中は月に1回、無料で修理現場が公開され、屋根が戻された直後も修理現場が一般公開された[4][5]新型コロナウイルスの影響により落慶法要は大幅に縮小された。
境内

三門(国宝)三門南側面と山廊本堂平面図大方丈(重要文化財)大方丈(左)と小方丈(奥)勢至堂・法然上人御廟参道勢至堂(重要文化財)

知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、御影堂(本堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている。このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段、下段の大伽藍は江戸時代になって江戸幕府の全面的な援助で新たに造営されたものである。

御影堂(国宝) - 本堂、大殿とも呼ばれる。知恩院境内は下段、中段、上段の3段に整地されており、本堂はそのうちの中段に南面して建つ。寛永10年(1633年)の焼失により、寛永16年(1639年)に徳川家光によって再建された。法然ゆかりの吉水草庵があった場所であるとされている。宗祖法然の像を本尊として安置することから御影堂(みえいどう)と呼ぶ。知恩院で最大の堂宇であることから、大殿(だいでん)とも呼ばれる。入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築で、江戸幕府造営の仏堂としての偉容を示している。建築様式は外観は保守的な和様を基調としつつ、内部には禅宗様(唐様)の要素を取り入れている。柱間は桁行(正面)11間、梁間(奥行)9間で、手前の梁間3間分を畳敷きの外陣とし、その奥の桁行5間・梁間5間分を内陣とする。内陣の左右はそれぞれ手前の梁間3間分を「脇陣」、奥の梁間2間分を「脇壇前」と呼ぶ。堂内もっとも奥の梁間1間分は、中央の桁行5間を後陣、左右の桁行各3間を脇壇とする。内陣の奥には四天柱(4本の柱)を立てて内々陣とし、宮殿(くうでん)形厨子を置き、宗祖法然の木像を安置する。江戸幕府の造営になる、近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例であり、日本文化に多大な影響を与えてきた浄土宗の本山寺院の建築としての文化史的意義も高いことから、2002年平成14年)に三門とともに国宝に指定されている[6]。屋根の上、中央に屋根瓦が少し積まれているが、これは完璧な物はないことの暗喩だとされる。2007年(平成19年)から屋根の修復作業が行われた。法然上人像は毎年12月25日に御身拭式が行われているが、2011年(平成23年)12月25日には御影堂大修理に伴い、御身拭式の後、遷座式が執り行われ修理の間のみ法然上人御堂と改称していた集会堂に安置された。2020年令和2年)4月13日に落慶遷座法要が行われ、法然上人像は8年4ヶ月ぶりに御影堂に戻った。外陣に掲げられている勅額「明照」は大正天皇宸筆であり、1915年大正4年)に制作された。

阿弥陀堂 - 御影堂の向かって左に東面して建ち、阿弥陀如来坐像を安置する。1910年明治43年)再建。宝永7年(1710年)に現在地に移されるまでは勢至堂の前に建てられていた。正面に掲げられている勅額「大谷寺」は後奈良天皇の宸筆である。

多宝塔「七百五十万霊塔」 - 1958年昭和33年)建立。

法然上人像

写経塔

経蔵(重要文化財) - 御影堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階(もこし)付きの建物。三門と同じ元和7年(1621年)に建立された建物で、徳川秀忠の寄進による宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられている。2010年(平成22年)9月25日に、経蔵の礎石に乗用車が衝突し、礎石の一部が剥落する事故があった。事故のあった場所は、当時、彼岸回向のために来寺する信徒の駐車場として開放されていた。

宝仏殿 - 1992年(平成4年)建立。御影堂の南側に北面して建つ寄棟造の仏堂。内部には阿弥陀如来立像と四天王像を安置する。

九重石塔



納骨堂 - 1930年(昭和5年)建立。

大鐘楼(重要文化財) - 宝仏殿裏の石段を上った小高い場所に建つ。延宝6年(1678年)再建。ここにある梵鐘(重要文化財)は日本有数の大鐘で、寛永13年(1636年)の鋳造である。この鐘楼で除夜の鐘を突く模様は年末のテレビ番組でたびたび紹介されている。

四脚門

武家門 - 集会堂の入口にある門。

集会堂(しゅえどう、重要文化財) - 寛永12年(1635年)に徳川家光により再建。かつては衆会堂と呼ばれていた。1872年明治5年)の京都博覧会の会場となっている。2011年(平成23年)12月に床面を広げる増床工事が行われた。

新玄関(重要文化財)

大庫裏(おおぐり、重要文化財) - 雪香殿とも呼ばれる。寛永年間(1624年 - 1645年)再建。

小庫裏(こぐり、重要文化財) - 月光殿とも呼ばれる。寛永年間(1624年 - 1645年)再建。

大方丈(おおほうじょう、重要文化財) - 御影堂の右手後方に建つ。


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