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表現の自由(ひょうげんのじゆう、: Freedom of expression[1])とは、司法判断も無しに検閲自主規制妨害されたりすることもなく表現出来る権利[2][3][4][5][6]憲法で保証された範囲内で、外部に向かって思想意見・主張・感情などを表現したり、発表したりする自由[7][6]個人におけるそうした自由だけでなく、報道出版放送映画の(組織による)自由などを含む[7]。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概説

内心における精神活動がいくら自由でもそれを外部に表明する自由がなければほとんど意味をなさないから、表現の自由はいわゆる精神的自由権の中心的地位を占めるとされる[8]

表現の自由の貴重さはミルトンヴォルテールミルなどによって説かれてきた[9]。表現の自由は民主主義政治を支える基盤として、フランス人権宣言第11条に「人の最も貴重な権利の一つ」とあるように、早くから各国の憲法典や人権宣言に保障規定として盛り込まれた[8]1948年世界人権宣言第21条、1976年市民的及び政治的権利に関する国際規約第19条第2項にも定められている。

表現の自由についてはその「自己実現の価値」や「自己統治の価値」から優越的地位の理論が導き出されている。優越的地位の理論とは、アメリカ合衆国の1936年の連邦最高裁判決を機に確立されてきたもので、表現の自由(あるいは広く精神的自由)は人権体系の中で優越的地位を占めるという理論である[10]。この優越的地位の理論は憲法学説において一般的なものになっている[10]

まず、表現の自由には、自己の精神活動の所産を外部に表明したり他者のそれを受けることによって人格的な発展を遂げることができるという「個人価値の実現」にとって不可欠であるという要素が挙げられている[11]。ジョン・ミルトンは著書『言論・出版の自由 アレオパジティカ』(1644年)で表現に対する抑圧について「自由で知的な精神に対して加えられる最も不愉快で侮辱的なもの」と述べている[12]

また、表現の自由には、人の考えには当然誤りもありうるが、それは他人の考えに接することにより是正されうるもので、各人が自己の意見を自由に表明し合うことで真理を発見し社会全体として正しい結論に到達することができるという要素も挙げられている[12]。ジョン・ミルトンは著書『アレオパヂティカ』(1644年)で「真理と虚偽とを組打ちさせよ。自由な公開の勝負で真理が負けたためしを誰が知るか」と述べている[12]。このような思想は、後世に影響を与え、アメリカ最高裁判所判事を務めたオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは「真理の最良の判定基準は、市場における競争のなかで、みずからを容認させる力をその思想が持っているかである」と述べ「思想の自由市場論」として展開されることとなった[12]。典型的な自由主義的な信念によれば、各人の自発的な表現が総体として互いに他を説得しようと競い合う「思想の自由市場」(free market of ideas)を形成し、その自由競争の過程で真理が勝利し、真理に基づいて社会が進歩すると説かれる[13]。正しい知識と真理は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」へ登場し、そこでの自由な討議を経た結果として得られるものと考えられることから、表現の自由は真理への到達にとって不可欠の手段であるとみる[14]

さらに国民主権原理に立つ政治的民主主義は、主権者である国民が自由に意見を表明し討論することで政治参加を行うことを本質的要素としている(自己統治の価値)[12]民主政治被治者の同意に基づく政治であるが、この同意は何ら強制によることなく表現の自由のもとで形成されている必要があり、この自由を欠いた政治体制はその支配を正当化することができない[15]。表現の自由は民主主義政治の前提となる自由な討論を保障するものとしてその重要性が強調される[12]。表現の自由は民主政治に不可欠な条件である[13]。同時に政治権力の側にとっては表現の自由は自らの正当化の源泉としての意味を有する[12]

表現の自由は、権力に対する反対が暴力等に発展しないようにするという安全弁としての機能を果たし権力の安定に資するという側面も有している[16]。しかしまた、権力批判を許す自由は、時の権力にとって危険な側面も持つことも確かであり、表現の自由は権力によって最も傷つけられやすい自由ともいわれる[16]。アメリカ最高裁判所判事を務めたオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、権力を持つ人間は自己の思想の正しさを確信すればするほど対立する思想を直接・間接に抑圧しようとする論理を指摘している[9]。また、第4代アメリカ合衆国大統領であるジェームズ・マディソンは「人民的知識もしくはそれを獲得する手段のない人民的政府というようなものは、茶番かまたは悲劇、もしくはおそらくその両方の序幕にすぎない」と述べている[9]

1906年のヴォルテールの伝記『ヴォルテールの友人』でエヴリン・ベアトリス・ホールは、ヴォルテールの信念を説明する際に「私はあなたの言うことに同意しないが、あなたの発言する権利は死ぬまで擁護する」という文を書いた[17]。表現の自由の原則を説明するために、ホールのこの言葉は(ヴォルテール自身の言葉と誤解されつつも)頻繁に引用されている[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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