矢田 稔(やだ みのる、1931年〈昭和6年〉4月27日[1][2][3] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター、童謡歌手。ケッケコーポレーション所属[6]。日本俳優連合顧問[9]。東京府豊多摩郡淀橋町(現:東京都)出身[4][1][5]。かつては子役としても活動した[8]。 東京府豊多摩郡淀橋町(現在の東京都新宿区)で生まれる[4]。 佐々木すぐるにスカウトされ[7]、1939年に芸能界入り[8]。童謡歌手として日本コロムビア、ポリドールで活動[8][4]。子役としても活動し[8]、1942年、大映多摩川撮影所と契約し[10]、映画『新雪』でデビュー[7]。新児童劇団に所属[4]。開成高等学校卒業[1][4]。1953年に劇団俳優座演劇研究所附属俳優養成所(2期生)を卒業後、俳優座スタジオ劇団同人会設立に参加[11]。フリーランスとなり[11]、プレーヤーズ・センター[4]、グループ・てえぶらを経て[12]、1958年、新作座設立[4]、1960年に劇団潮設立[13]、東京俳優生活協同組合[13]、土の会[14]、劇団河[1][2]、三輪事務所
経歴