矢田稔
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かつては子役としても活動した[8]
経歴

東京府豊多摩郡淀橋町(現在の東京都新宿区)で生まれる[4]

佐々木すぐるにスカウトされ[7]、1939年に芸能界入り[8]。童謡歌手として日本コロムビアポリドールで活動[8][4]。子役としても活動し[8]、1942年、大映多摩川撮影所と契約し[10]、映画『新雪』でデビュー[7]。新児童劇団に所属[4]開成高等学校卒業[1][4]。1953年に劇団俳優座演劇研究所附属俳優養成所(2期生)を卒業後、俳優座スタジオ劇団同人会設立に参加[11]フリーランスとなり[11]、プレーヤーズ・センター[4]グループ・てえぶらを経て[12]、1958年、新作座設立[4]、1960年に劇団潮設立[13]東京俳優生活協同組合[13]、土の会[14]劇団河[1][2]、三輪事務所、ALBAを経て、現在はケッケコーポレーション所属[3]。声優としても日本アニメ黎明期から活躍している。

香川県高松市のタレント養成スクール「アーク・アクターズ・スクール」の顧問・講師を近年まで務めていた他、宝映テレビプロダクション付属養成所などでも講師を務めている[8]

2020年に第14回声優アワード功労賞を受賞[15]
人物

声種ハイバリトン[16]

方言は秋田弁[1]東北弁[5]。特技は富本節[5]地唄舞の解説、司会[6]。趣味はドライブ[5]旅行[5]読書[5]
出演
テレビドラマ

わが家の日曜日記(1953年)

事件記者 第10話「青い顔の男」(1958年、NHK)

KRテレビ連続ドラマ(ラジオ東京テレビ)

日真名氏飛び出す(1955年)

ますらを派出夫会(1957年)


東芝土曜劇場 第三の男(1960年、CX)

七人の刑事 第1シリーズ 第9話「野獣狩り」(1961年、TBS)


松本清張シリーズ・黒の組曲「不在証明」(1962年)

大河ドラマ / 赤穂浪士(1964年) - 長助

人形佐七捕物帳(1965年) - 寅八

文五捕物絵図 第13話「七夕乙女」(1967年、NHK)

無用ノ介 第15話「天にさけぶ無用ノ介」(1969年、NTV) - 番頭

プレイガール 第35回「夫は外で何をしていた?」(1969年、12ch)

連続テレビ小説(NHK)

繭子ひとり(1971年)


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