睡眠薬の多くは規制対象物質である。1971年より向精神薬に関する条約が公布され、バルビツール酸系とベンゾジアゼピン系の多くは、乱用の危険性があるために、国際条約上の付表(スケジュール)IIIおよびIVに指定され流通が制限される。アメリカでは規制物質法にて同様に付表にて定められている。日本においても、国際条約に批准しているため麻薬及び向精神薬取締法において、第2種向精神薬にはバルビツール酸系のアモバルビタールやペントバルビタール、ベンゾジアゼピン系のフルニトラゼパム、第3種向精神薬にはほかのベンゾジアゼピン系や非ベンゾジアゼピン系の多くが定められている[17]。第2種向精神薬は付表III、第3種向精神薬に付表IVに相当する。2010年に国際麻薬統制委員会は、日本でのベンゾジアゼピン系の消費量の多さの原因に、医師による不適切な処方があるとしている[18]。それに加え、2010年に日本の4学会が合同で危険な多剤大量処方に注意喚起している状況である[19]。離脱症状や[20][21]、依存症の危険性についても医師が知らない場合があることが報告されている[22]。 1869年には抱水クロラールが合成され、睡眠のために用いられたが、1900年ごろにバルビツール酸系が登場すると、置き換えられていった[23]。 まだ、薬剤の特性や疾患の区別が発達しておらず、鎮静にも睡眠にも用いられた[23]。1952年まではひどい興奮、混乱を示す患者に対処するには、拘束や、バルビツール酸系が用いられたが、バルビツール酸系には睡眠性と致死性の重大な副作用があった[24]。初の抗精神病薬が登場すると(つまりクロルプロマジンの登場[25])、このような用途でバルビツール酸系は用いられなくなった[24]。現今においても、日本の不審死から検出されるのが、1957年に承認された混合薬のベゲタミンの成分である、抗精神病薬のクロルプロマジンとバルビツール酸系のフェノバルビタールと古い抗ヒスタミン薬のプロメタジンである[26]。 1960年には、ベンゾジアゼピン系の薬剤が販売される。 1940年代に、ホフマン・ラ・ロッシュ製薬会社のレオ・スターンバックが、染料を目的としてキナゾリン化合物を作ったつもりが、偶然にものちにベンゾジアゼピンとして知られる物質を合成しており、抗不安作用が見いだされ、クロルジアゼポキシドと命名された[27]。バルビツール酸系のフェノバルビタールのような薬の危険性が認識されるなか、クロルジアゼポキシドは、アメリカで1958年5月に特許が承認され、1960年代にリブリウムの商品名で販売が承認された[27]。 この種類の薬に限らず、商業的に成功した医薬品に類似した医薬品を医薬品設計し、特許を取得し販売するのは製薬会社の戦略である[27]。
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