発明の時期については、1286年頃であると推定されている。これは1306年2月23日水曜日朝[10]:29にドミニコ会の修道士フラ・ジョルダーノ・ダ・リヴァルトがフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェーラ教会において行なった説教で、眼鏡について「この20年以内の発明である」「発明者と話をしたことがある」[10]:34と述べたという記録からの逆算である[10]:29。しかし肝心の発明者の名前は言及されていない。
いっぽう、ジョルダーノと同じ修道院の同僚であったドミニコ会修道士のフラ・アレッサンドロ・デッラ・スピナ(伊: Alessandro della Spina、没年は推定1313年頃[10]:42)に関して、「スピナは一度見たものはなんでも複製して作る技能を持っていた。眼鏡は別の誰かの発明したものだが、その人物はそれを秘密にした。いっぽうスピナは眼鏡を製造して皆に分け与えた」という記録がある[10]:36。このスピナ本人が眼鏡の発明者であるとする説をピサ大学の医学の教授だったフランチェスコ・レディが1678年に提唱した[10]:25が、後にレディによる捏造である[10]:37として否定された[10]。
フィレンツェのSalvino degli Armati(英語版)が眼鏡の発明者だとする説が1684年から現れた[11]。18世紀には異論も出たが、Salvinoの実在を信じる者も多く、19世紀になって「Salvinoの墓地跡地」に碑文や胸像が据えられた[11]:195。20世紀になって本説は捏造であり、発明者とされる人物は実在しないとして否定された[11]:192。
スピナに眼鏡を見せた者は、ヘンリーというロジャーベーコンの友人であったという説も出たが、これも否定されている[11]:198。
マルコポーロの『東方見聞録』に、中国で老人が書物を読むのにレンズを使用することが一般化していると書かれていると主張されることがあるが、そのような記述は実際の『東方見聞録』には存在しない。
初期の眼鏡は凸レンズを使っており、遠視と老視を矯正できたが、もっぱら老眼に使われた。近視を凹レンズで矯正できることを発見したのは、ニコラウス・クザーヌス(1401年 - 1464年)とされている[要出典]。理論的に凸レンズや凹レンズによる視力矯正を説明したのはヨハネス・ケプラーの光学や天文学の論文であり、1604年のことである。
ちなみに絵に眼鏡が描かれたのは、1352年にTomaso da Modenaの作品が最初で、枢機卿 Hugues de Saint-Cherが写字室で書物を読んでいる姿の肖像画である[11]:205。また、1403年にドイツでつくられたバート・ヴィルドゥンゲンの教会の祭壇飾りに眼鏡が描かれている。中世ヨーロッパにおいて、眼鏡は知識と教養の象徴であり、聖人の肖像には、たとえ眼鏡発明以前の人物であっても、眼鏡がしばしば描き入れられた(アウグスティヌスなど)。 明では張寧『方洲雑録』に「?逮」と記され、また別の書では「眼鏡」とも書かれる[12]、田藝?『留青日札』では『方洲雑録』を引用して「靉靆」(あいたい)の名で言及されている[13]。アラビア語: ??????
東洋への伝来
日本に眼鏡を伝えたのは、宣教師フランシスコ・ザビエルで、周防国の守護大名・大内義隆に謁見した際に献上したのが最初といわれている。ただし、これは現存しておらず、現物で残っている日本最古の眼鏡は、室町幕府第12代将軍の足利義晴が所持していたと伝わるものがある。一説には、義隆の物より、義晴が所持していたものの方が古いとも言われる。また徳川家康が使用したと伝わる眼鏡も久能山東照宮に現存している。日本でも、眼鏡はやがて国内で作られるようになり、江戸時代の半ばほどにもなると、江戸や大坂の大都市では、眼鏡を販売する店が出るようになった[15]。同時に日本独自の改良も施されるようになり、中でもメガネの鼻パッドは日本独自の発明であるとされる[16]。
その後の改良耳にフレームをかける方式の眼鏡を着用した男性
アメリカ合衆国の科学者ベンジャミン・フランクリンは近視と老視に悩まされ、1784年に眼鏡をいちいち交換しなくて済むように多重焦点レンズを発明した[17]。1825年、イギリスの天文学者ジョージ・ビドル・エアリーが世界初の乱視用レンズを製作した[17]。
眼鏡のフレームも進化してきた。初期の眼鏡は、手で押さえるか、現代の鼻梁を挟む鼻眼鏡とは異なり鼻翼の部分に乗せて使う形状だった。ジロラモ・サヴォナローラが、眼鏡にリボンをつけて頭に巻いて縛り帽子をかぶれば外れないという提案をした。現在のようにつるを耳にかける形のフレームは、1727年にイギリスの眼鏡屋エドワード・スカーレットが開発した。そのデザインはすぐに広まったわけではなく、18世紀から19世紀初期にかけて柄付眼鏡などもファッションとして使われ続けた。
20世紀に入ると、カール・ツァイスの Moritz von Rohr(および H. Boegehold と A. Sonnefeld)が Zeiss Punktal という球面レンズを開発し、その後これが眼鏡用レンズとして広く使われるようになった[18]。
構成眼鏡の各部の名称
眼鏡は、ほとんど全てのものにおいて、右目・左目の計2枚のレンズで構成されている。視力矯正が目的の場合、多くは両目ともに視力低下をきたしているため、両目ともレンズが必要となるためである。また、保護メガネやサングラスなどにおいても、ほぼ全ての製品が両目を守ることを目的としている。片目だけの使用を想定した片眼鏡も存在するが、視力矯正よりも装飾の意味合いの大きいものである。
今日の眼鏡は以下のような部品から構成される。眼鏡の種類によっては一部の部品を欠いたものもある。
レンズ
眼鏡の機能として働く部分である。レンズ以外の眼鏡部品は、今日では装飾目的もあるが、もともとはレンズを目の前に固定するためにあるものである。
フレーム(縁、枠)
レンズを眼前に固定するための構造全体を称してフレームという。英語で枠または縁という意味である。フチなし眼鏡のレンズ以外の部分を指してフレームというのは、枠のないものを枠と呼んでいるわけで矛盾した語法である。一部の文献や日本の商標法では、フチなし眼鏡のいわゆるフレームをマウントまたはマウンティングと呼ぶ。フレームは、さらに下記のような部品に分けられる。
テンプル(腕、ツル、アーム)
テンプルとは英語でこめかみという意味である。古くはその名のとおり、こめかみに当てて固定するものだったが、今日では蝶番とイヤーピースを繋ぐ棒状の部分を称してこう呼ぶ。鼻眼鏡には存在しない。伸縮性のあるスライドテンプルがあり老眼鏡に用いられることもある。
テンプルエンド(バチ先)
テンプルの先端。
先セル(モダン)
テンプルの末端の部品。プラスチック製が多く、かつてはセルロイド製だった。メタルフレームの一部は先端を丸くし、プラスチックを被せない物は先セルレスやモダンレスと呼ばれる。