真言
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陀羅尼のTadyath?以後を真言として唱える場合や、陀羅尼の一部を抜き出して真言のように唱える場合もある[注 35]

帰命句は、大きく分けると以下の二つに分類される。

namas

o?

の形式があり、両者が併用される陀羅尼や真言もある。

「namas」は、サンスクリット語で「お辞儀する、敬礼する、崇拝する」を意味する動詞で、漢訳では「帰命」「敬礼」等と訳される。namasはサンディ(連声)のため、次にくる単語の最初の音によって「nama?(ナマハ)」や「namo(ナモー)」に変化する。漢訳経典では、「nama?」は「曩莫」・「納莫」等、「namo」は「曩謨」・「南無」等、namasは「南無悉」等と音写された。日本では宗派によって読み癖が異なるが、前者は「ノウマク」・「ナウマク」等、後者は「ノウボウ」・「ナモー」等と読まれる。

帰命句には、よく使われる定型文がある。

nama? samantabuddh?n?? ?(ノウマク・サマンダ・ボダナン・?)

nama? samantavajran?? ?(ノウマク・サマンダ・バザラダン・?)

namo ratna-tray?ya ?(ノウボウ・アラタンノウ・トラヤーヤ・?)

namo bhagavate ?(ノウボウ・バギャバテイ?)

など。詳細は「南無」を参照

「nama? samantabuddh?n?? ?」は、しばしば「o?」で代用される。
聖音

真言には多用されるいくつかの聖音が存在する。(中:中国慣用音、日:日本慣用音、チ:チベット慣用音、ネ:ネパール慣用音)
オーム(日:オン,チ:オン)
サンスクリット語の「o?」で、漢訳では「?」と書かれる。密教系では「オン」、禅宗では「エン」と読まれることが多い。真言の冒頭に用いて帰命の意をあらわす神聖な音で、末尾の「ソワカ」とともに多用される。本来はバラモン経の聖音で、ヴェーダを誦読する前後、また祈りの文句の前に唱えられるものであったが、仏教にも取り入れられ真言の頭首に置かれるようになった
[注 36]。詳細は「オーム (聖音)」を参照
スヴァーハー(日:ソワカ,チ:ソーハー)
サンスクリット語の「sv?h?」で、漢訳では「薩婆訶」、「娑婆訶」「莎訶」等と書かれる。日本仏教では、密教系では「ソワカ」、禅宗系では「ソモコ」と読まれることが多い。真言・陀羅尼の末尾に置いて成就を願う聖語で、和訳では「成就あれ」「畏み申しあげる」等の意味とされる[注 37]。もとはバラモンが火中に供物を投ずる際に唱えた女神「スヴァーハー[注 38]」の名である。成就句は必ず置かれるものではなく、同じ真言でも存否は不定である。詳細は「スヴァーハー」を参照
フーム(日:ウン,チ:フーン)
サンスクリット語の「h??」で、漢訳では「吽」等と書かれる。『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』にも見える呪句で、「h」はシヴァ、「?」はバイラヴァを、「?」は、不幸や苦痛を駆逐することを意味する語、または「hetu(因縁)」+「?(損減)」+「?(空点)」からなり、菩提心の損減を空ずるつまり菩提心堅固をあらわし、それによって魔を畏怖させる意をあらわす語とされる。「大力」・「警覚」・「恐怖」・「忿怒」、「清浄」や「満願」など様々な意味で用いられるため解釈が困難な語である。忿怒尊の真言において「ウン・ハッタ(h?? pha?)」と組み合わせて用いられる場合は、「叱咤」・「恐怖」・「忿怒」の意味と解釈される。
パット(日:ハッタ,チ:ペー)
サンスクリット語の「pha?」で、漢訳では「發?」等と書かれる。敵を攻撃する時の「感情」や「打撃」・「発射」等の意味を持つ『ヴェーダ』の呪句を取り入れたもので、忿怒尊の真言に多く用いられ、敵を調伏させるための感情をあらわす語とされる。「摧破」・「破壊」・「降伏」・「放出」等と解釈されるが通常は翻訳しない。
ブルム(日:ボロン,チ:ドゥム)
サンスクリット語の「bhr??」で、漢訳では「歩??」等と書かれる。「bh(発菩提心)」+「?(?滅諸罪障)」+「??(一切如虚空)」の合成語で、菩提心を発し罪障を滅し心楽しく虚空の如く清浄なことを意味するとされる。「種子_(密教)」も参照
解読・研究

真言は、聖なる音を唱えることが重要であるという信仰から、サンスクリット語を翻訳(意訳)せず、漢字で音写されたものが多く伝わったが、解読されているのはごく僅かでサンスクリット原典も殆ど残っていない。真言密教の各宗では、真言を翻訳したり字句の意味を穿鑿したりせずに、その大意を掴んでひたすら無心に唱えるように指導している。そのため意味不明・解読不能でありながら各宗で依用されている真言は多い[注 39]

真言は、永らく「音が重要であり、唱えるべきもので解釈すべきものではない」という伝統があったが、江戸中期の真言律宗の僧浄厳は、当時乱れていた真言・陀羅尼を正すために『普通真言蔵』を著し、さらに法隆寺貝葉梵本経を模写し音訳や意味を記した。昭和期以降、真言陀羅尼の研究が盛んになり、昭和6年に密教学会編の『密教大辞典』が出版され、昭和10年に臨済宗では伊藤古鑑の禅宗聖典講義が出て、大悲心陀羅尼、消災妙吉祥陀羅尼、仏頂尊勝陀羅尼の意訳を試みている。昭和34年に田久保周誉の『真言陀羅尼蔵の解説』、昭和35年に栂尾祥雲の『秘密事相の研究』、昭和45年に渡辺照宏・大鹿実秋・宮坂宥勝による智山教化資料第四集『常用陀羅尼と諸真言』、吉田恵弘の『金胎両部真言解記』、昭和54年に稲谷祐宣による『普通真言蔵』(浄厳編/稲谷祐宣校注)、昭和60年に八田幸雄の『真言事典』が刊行された。

真言の解読には、一般仏教の知識や密教の経典儀軌はもとより、古典『ヴェーダ』や『ウパニシャッド』、『マハーバーラタ』の英雄詩や古代インド神話の知識を必要とし、しかも音写漢字を還梵するという複雑な作業を踏まなければならない。サンスクリット語やチベット語など各種言語にも精通している必要もあり、真言の研究はまだ成就していない。
依用

真言にはそれぞれ出典となる経が存在し、成立の過程が異なる『大日経』 (胎蔵界) と『金剛頂経』 (金剛界) では、真言が異なる。真言の中でも仏尊の名号種子・本誓を真言にしたものは、比較的容易にその意味が解読されているが、加持に用いる真言などで全く意味不明なものも存在する。しかし、理解できなくても一種の不可思議な霊力がある呪文として取り扱われている[17]
口誦、念誦
真言は、バラモン教ヒンドゥー教のマントラに由来するため「反復」が重視されており、数限りなく唱えられたときに絶大な威力を発揮すると説かれている。遍数には三遍・七遍・百八遍・千遍、十万遍(洛叉)などがあり、例えば、不動明王の真言を30万回(三洛叉)唱えると不動明王の姿を見ることができる[18]准胝観音の陀羅尼を90万回唱えると一切諸々の罪業が余すところなく消滅する[19] など、数多く真言を唱えることで効果を発揮すると説かれている。空海も実践したと伝えられる「虚空蔵菩薩求聞持法」は、虚空蔵菩薩の真言を100日間ないし50日間で100万遍唱えるもので、修行が成就すれば抜群の記憶力と限りない智慧を獲得できるとされる[注 40]

唱え方には以下のものがある。

声生念誦 - 心の蓮華の上に法螺貝を観想しそこから声を出すように唱える。

蓮華念誦 - 自分の耳に唱える声が聞こえる。

金剛念誦 - 唇歯を合わせて舌端を少し動かして唱える。


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