真空管
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エジソン白熱電球の実験中に発見したエジソン効果1884年)が端緒となり、その後フレミングが発明(1904年)した素子が二極真空管(二極管)で、三極真空管(三極管)は、リー・ド・フォレストが発明(1906年)した。

既に白熱電球の製造技術があり、リー・ド・フォレストの真空管はウェスタン・エレクトリック社でもリー・ド・フォレストの特許のもとに生産に移され、1914年 には三極管は電話回線のリピーター回路に汎用されタイプM (101A) が製造された[10]1915年のバージニア、アーリントン間の大陸横断電話回線の実験においては、550本の真空管が使われたとされている。使われた真空管はタイプL、タイプW、タイプSであった。アメリカ軍ではフレミングバルブを使っていたこともありフランス製の通信機を使っていたが、第一次世界大戦末期フランスからのRチューブの供給が滞るようになり、急遽、タイプJ (203A) から耐震構造化した受信機用検波増幅管であるVT-1が、タイプL (101B) を元にタイプKの後継管として送信機用5W型発振変調管であるタイプE (VT-2) [注釈 9]が製造された[11]1929年には5極管 (UY-247[注釈 10]) が登場し、1935年に画期的なメタルビーム管(6L6)が登場、これにより基本となる真空管技術が完成した[12]。初期のコンピュータには大量の真空管が使用され、寿命の揃った真空管を大量に調達するのが製作上の難関のひとつだった。例としてENIAC(1946年)には17468本が使われている。

しかし、

原理的に熱電子源(フィラメント・ヒーター(英語版))が必要なので消費電力が大きく、発熱する。

フィラメントやヒータを有するため寿命が短い(数千時間程度)。

真空管そのものや、これを用いる機器の小型化や耐震性に問題がある。

などの欠点があった。トランジスタが発明され1960年代以降には生産歩留まりが高まって安価になると、放送、通信分野の機器においては、次第にトランジスタに取って代わられることとなった。その結果、主回路に真空管を使用したテレビ受像機ラジオ受信機は、1970年代に入ると生産が中止された。なお直接的な欠点ではないが、トランジスタではコンプリメンタリの素子が得られるという特長があるが、真空管では原理上単一の極性のものしか得られないことも理由の一つであった。

電子回路に半導体が広く使われるようになった1970年代においても、高出力電波送信というような用途では真空管が主に使われていた。1976年に起きた「ベレンコ中尉亡命事件」のMiG-25の機体検証で、搭載電子機器類に真空管が使用されており話題となった。
形態真空管の形状(左からナス管、ST管、GT管、mT管)

容器にはおおむね6つの形態がある。

ナス管(1930年代まで): 茄子(ナス)形[13]のガラス管。S管とも呼ばれる[14]

ST管(1930年代 - 1950年代): だるま[13]のガラス管で、「ダルマ管」とも呼ばれる[14]

GT管(1940年代 - 1950年代)

mT(ミニチュアあるいはミニアチュア)管(1950年代 - 末期)

サブミニチュア(サブミニアチュア)管(1960年代 - 末期): 1941年にRCA社で補聴器用に開発、1942年に試作・量産開始された近接信管に使用された)

ニュービスタ[注釈 11]管(1960年代 - 末期)

この他に外装を金属としたメタル管がある。メタル管は金属の筒で覆われているため、外から内部を見ることはできず、放熱効率を高めるため一般的に黒く塗装されている。メタル管は大文字を使いMT管と表記することがある[14]。これはミニチュア管と区別するためである。

mT管以降の小型真空管は、機器単体に多くの真空管を利用するようになり、その小型化、多様化需要によって主力となったものである。

ただ、小型の真空管そのものは真空管実用化の初期にはすでに作られており、1919年頃には「ピーナッツ・チューブ」と呼ばれる、mT管よりも若干大きめの真空管、WE-215Aが登場している。しかしこれは初期の真空管の使用が電池蓄電池乾電池)に頼っていたことから、その主な目的は節電であり、WE-215Aなどは「経済管」とも呼ばれていた。

発熱する真空管では無理な小型化は望ましいものではなく(激しい温度変化による材料の大きな膨張伸縮により、特に電極部に損傷が生じやすく、この部分からの外気侵入が問題となる)、その後間もなく電灯が普及し、電灯線交流電源)による使用が一般化したことから、メタル管が登場した1935年以降、一部の目的を除き、民需には主にST管、軍需には主にメタル管という状態になった。

真空管はRCA社のメタル管により技術的にほぼ完成されたものとなったが、メタル管は軍需により開発されたものであり、コスト高であった。そこで低コストでメタル管に劣らない諸特性を持つものとしてGT管[注釈 12]が考案され、主に民需用として用いられた。 GT管は米国ではかなり普及したが、日本では太平洋戦争の影響と特許の関係であまり生産されず、戦後、ST管から直接、mT管へとその需要が移行した。

第二次世界大戦後の本格的な需要により、真空管本体とピンを一体としたmT管が主力となり、世界各国で広く生産された。その後、ピンを廃してリード線をそのまま真空管本体から引き出すことにより、さらに小型化したサブミニチュア管が作られた。

そしてトランジスタとの市場競争となった末期のニュービスタ管は、プリント基板に搭載して使用する目的のため、当時のトランジスタと同じ程度の大きさまで小型化が進められた。

なお、現在[いつ?]も生産が続けられているオーディオ用真空管(後述)などでは、オリジナルのものはメタル管やGT管であっても、ガラス管部がST管形状となっているものなどもある。

メタル管 (RCA 6L6)

ニュービスタ管

ミニチュア管(複合管、2個のプレートが見える)


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