県警対組織暴力
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東映本社と俊藤浩滋の自宅が家宅捜索され、岡田茂東映社長(当時)は警察に出頭を命じられた[3][5][6][7]。警察の目的は岡田と田岡一雄との関係を明らかにして、岡田を引きずり下ろすことが狙いだった[4]高岩淡(のち、東映社長)も重要参考人として警察に呼び出され厳しい取り調べを受けた[4]。警察とマスコミキャンペーンを張られ、世間を騒がせた責任を取り、岡田社長は1975年の正月映画に予定していたシリーズ三作目『山口組三代目 激突篇』の製作を断念した[5][6][7]

これら東映とヤクザ映画に対する警察の圧迫を不愉快に思った岡田社長が便所の中で思いついたのが本作のタイトル、及び企画である[5][7][8][9]。岡田は日下部五朗に「この題で撮れい、撮ったれい!」と広島弁で息巻いていたといわれる[7]

『仁義なき戦い』の新シリーズ『新仁義なき戦い』も広島市からのロケ撮影を締め出されるというトラブルが続出した[1]。このため東映はヤクザ路線から警察路線という新シリーズと銘打ち[1]、「本作をその第1作として広島県警が、地元暴力団組織を追いつめていく過程を描く。警察も組織で組織対組織の、血みどろの男の戦いを映画化する」「仁義なき戦いは広島市の暴力団組織の抗争を描いたものだが、同じ広島を舞台に、同じ深作欣二監督の手で、警察当局に追いつめられる組織暴力団の末路を描く」「いままでは警察当局の撮影への協力が得られなかったが、今後は期待できる」「早速に広島で現地ロケ、8月頃に公開の予定」とマスコミに発表し製作に着手した[1]。この発表を受け、マスコミの一部には東映がかつて『警視庁物語』という警視庁PR映画で稼ぎまくったことから、警視庁ご推薦ものを作る気かと報じるものもあった[10]
シナリオ

笠原和夫は岡田に呼ばれ「県警対組織暴力、いいタイトルだろ? これでやれ」と指示を受け、「そんなダサい題名で書けるか」と思ったが、仕方ないので脚本に着手した[11]。笠原は田舎の警察とやくざの戦いみたいなものをやろうと広島に行き取材を開始したが[11]、取材場所は広島しか知らず[11]、当地で収集した実話を参考に書き上げた[11]。また『仁義なき戦い』の徹底取材で材料が余り『仁義なき戦い』に使えずじまいのエピソードが余った。このため使い切れなかったエピソード(パトカーに相乗りして花見に行く話など[12])を本作で使っている[12]

市警察の久能(菅原文太)と友情を結ぶ若いヤクザ広谷(松方弘樹)の名前が、『仁義なき戦い』の主人公の広能の名前を二つに分けたものであることから、潜在的にこの二人が同じようなキャラクターであることを示唆している[13]。久能は警察の上司・海田(梅宮辰夫)に食ってかかり、ヤクザ広谷の夢を託すが、最後は時代の風に乗って鮮やかな転身を果たす海田とは真逆に、野良犬のようにトラックに踏みつぶされる[14]。また作品の舞台を東京オリンピックが開催された前年の1963年に置き、石油コンビナートラジオ体操、『こんにちは赤ちゃん』といった戦後の高度経済成長に向かう日本社会の表の顔とその裏にうごめく暗い顔を繰り返し見せることで、近代化まっしぐらだった日本では、大企業が地方の勢力と結びついて経済発展を図り、地方では警察もヤクザも政治家も癒着し合い、実は同類であるというテーマに結び付けている[13]。この根は同じというテーマは笠原作品によく見られる[13]

本作品のシナリオは『笠原和夫 人とシナリオ』に掲載されている[15]
本編とシナリオとの差異

本作品は監督の深作が「一字一字出直しするところがない」とまで称賛したように[16]、笠原のシナリオにほぼ従って撮られているが、いくつか削除されたシーンや変更された描写がある。
削除されたシーン


広谷が日光石油の久保所長を脅すシーンの次に、久能が過去の悪事をネタに向井市長を脅迫するシーン、および、脅迫された市長が広谷と川手に無理やり手打ちさせ、そのことを川手が怒るシーンがあった。

広谷組と川手組が二台の車に分かれて射撃しあうシーンの次に、中華料理店にいる広谷を暗殺者が襲い、広谷が返り討ちにするシーンがあった。本編にある海田警部補の台詞、「中華料理店の射殺事件が臭いんだが」とはこのことを指す。また、本作のビデオ版パッケージの裏面には、松方弘樹が中華料理屋で銃を構える写真が使われており、シーン自体は撮影されたものの編集段階で削除されたものと思われる。

海田警部補が初登場するシーンの一つ前に、警官の取り締まりに逆らい暴れだした広谷側の宏道会組員を、海田がハネ腰で投げ飛ばすシーンがあった。これがシナリオ段階での海田の初登場シーンである。

広谷組のチンピラ庄司が裏切り者を刺殺したシーンの次に、漁師町の庄司の実家が家宅捜査され、庄司の兄が「誰がわしらの漁場奪ったんじゃい! 悟を極道にしたんは誰ない!」と叫ぶシーンがあった。配役表を見るとこのシーンにしか登場しない庄司の兄にも役者が割り振られているので、このシーンも撮影だけ行われて編集でカットされたものかと思われる。

変更、追加された描写


シナリオ冒頭での久能の描写は「ねじ鉢巻、サングラス、油の染みたジャンパー、一見仲仕風の男が、グラスの酒を煽り、ラーメンをすすり、ゆで玉子にもかぶりついている。貪欲というよりも、賎しいまでに動物的な活力に溢れた喰いっぷりである。」という荒々しいものだが、本編ではスーツにコートというスマートな衣装に変更されており、どぎつい食事ぶりの描写もない。

本編では、テレビから当時のヒット曲『こんにちは赤ちゃん』が流れる中、チンピラがのたうち回りながら殺されるシーンがある。『こんにちは赤ちゃん』はこの映画の舞台である昭和38年の10月に発売された曲である。時代背景を切り取りながら殴り込みの凄惨さを引き立てる演出であるが、シナリオでは「大貫がテレビを見ている。」とあるだけでテレビに映される内容の指定はない。

ラストシーン、シナリオでは、近づく不審な車に対して懐中電灯を振る久能の姿がストップモーションになり、そこに「久能徳松巡査部長、昭和四十年、?暴走車にはねられ即死。加害車、不明」のテロップがかかり、エンドマークが出る。しかし本編では、久能がハネられ、ぐったりと眼を閉じ死亡するまでを克明に描いてから、テロップとエンドマークが出るようになっている。

キャスティング

本作は菅原文太(主演)、渡哲也の初共演作として[16][17]、1975年東映上半期最大級作品として企画され[17][16]、1975年2月18日の東映記者会見で、岡田茂東映社長が「文太、渡の二大スターで5月(ゴールデンウイーク)は勝利間違いなし」とブチ上げ、笠原が三ヶ月がかりで書き上げた脚本も菅原が「俳優になって初めて出会った最高傑作」、深作は「一字一字出直しするところがない」とまで称賛し[16]、1975年3月17日クランクインを予定していた[16]。渡哲也は高倉健との共演を予定していた『大脱獄』もキャンセルし、自宅で静養に努めていたが、1975年3月に入ってカゼをこじらせ体調が悪化し、1975年3月10日に所属の石原プロモーション専務小林正彦より「出演は難しい」と伝えられた[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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