県犬養三千代
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人物伝橘夫人念持仏(法隆寺)

万葉集』巻十九には、神護4年(727年)に光明子に皇子が誕生した際に三千代が詠んだと考えられている県犬飼養命婦の和歌が収められている[28]。また法隆寺大宝蔵院には三千代の念持仏と伝えられる伝橘夫人厨子と内部に収められる阿弥陀三尊像が伝来している[29]。また、同寺の西円堂(鎌倉時代に建立された現存の建物が国宝)も元は三千代が建てたとする伝承がある。法隆寺には娘の安宿(光明皇后)が多額の寄進をし、孫の橘古那可智も没後に居所が寄進されて現在の伝法院になっていることから、三千代が聖徳太子や法隆寺に対する篤い信仰心を持ち、それが娘や孫に引き継がれたとする見方もある[30]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 美努王は『新撰姓氏録』によれば敏達天皇皇子の難波皇子の子の栗隈王の子で三世王とされているが、『尊卑分脈』では難波皇子と栗隈王の間に大俣王を置き、美努王を四世孫としている。律令制度においては王族の範囲が五世王とされているため、美努王が四世王であれば三千代の子の葛城王・佐為王は五世王で王族を外れるため、三千代の橘賜姓の背景には美努王が四世王であった可能性が考えられている[7]

出典^ a b 義江明子 2009, p. 1.
^ 義江明子 2009, p. 94.
^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
^ 義江明子 2009, p. 2-6.
^ 義江明子 2009, p. 7-10.
^ 義江明子 2009, p. 12-13.
^ 義江明子 2009, p. 13-14.
^ 義江明子 2009, p. 15-17.
^ 胡口靖夫「軽皇子の命名と県犬養橘宿禰三千代」『続日本紀研究』185号、1976年
^ 義江明子 2009, p. 19.
^ 義江明子 2009, p. 16-18.
^ 義江明子 2009, p. 28-29.
^ 義江明子 2009, p. 37.
^ 義江明子 2009, p. 101.
^ 義江明子 2009, p. 26-29.
^ 義江明子 2009, p. 52-54.
^ 義江明子 2009, p. 56-58.
^ a b 義江明子 2009, p. 54.
^ 義江明子 2009, p. 61.
^ 義江明子 2009, p. 58-59.
^ 義江明子 2009, p. 65.
^ 義江明子 2009, p. 70-71.
^ 木本好信「橘古那可智の入内と藤原氏」『奈良平安時代史の諸問題』和泉書房、2021年、P142-144.


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