インドの看護教育は中央機関のインド看護評議会(Indian Nursing Council)によって統轄されており、その規範は各州の看護評議会を通じて施行されている。インド最初の公式な看護教育はマドラス医科大学で実施された。1947年にインド看護評議会を構築する法律が制定され、看護師や助産師や巡回保健師
(health visitor) になるための訓練の統一基準を確立した。看護の職業は、英国植民地時代は女性が独占していた。ただしマドラス管区では、男性が積極的に看護職に従事していた。イスラエルの看護師は、病院ケア、患者教育、負傷ケア、出生前ほかの監視、助産、乳児診療など、様々なことを担当している。
イスラエル文化における看護は、古代エジプトでユダヤ人女性が出産する手助けをした2人のユダヤ人助産師(ShifraとPuah)から始まったとされている。
近現代の看護は、ハダサー(Haddassah)という組織によってイスラエルに派遣された看護師と、1918年にヘンリエッタ・ゾルドによって設立された看護学校を通じて設立された。その間、イギリスがイスラエルでの助産を規定したが、その規制令で看護師のことは言及されなかった。
今日では、イスラエル保健省を通じて看護師と助産師が規定されている。 カトリック系宗教機関がオーストラリアにおける看護の発展に影響を及ぼし、オーストラリアにある病院の多くを設立した。1838年に到着した慈善修道女会 (Sisters of Charity of Australia
オーストラリア
1800年代の国勢調査では、植民地時代に西オーストラリアで働く数百人の看護師が見つかったが、これには衰弱者の世話をしたアボリジニの女性使用人が含まれていた[127]。
州の看護資格認定機関は、2011年に連邦機関AHPRA(オーストラリアの医療従事者登録局)のもと国内合併した[128]。看護免許の幾つかは現在も有効であり国中で認識されている。
准看護師は、国家認定に含まれる特定の技量を備えていれば経口薬の取り扱いを始めても構わないが、申請は機関によって異なる。
レジスタード・ナースは、大学の学位を有している(准看護師は登録看護師の地位に昇進することが可能で、以前の研究で単位を取得することが可能)。
ナース・プラクティショナーは、大学院の修士課程から就任できるようになり、私立診療所や公立の病院・診療所で働いている。
メンタルヘルスの看護師は、精神保健法(Mental Health Act)に基づいて顧客紹介を管理するために、高度なメンタルヘルス開業医としてさらなる訓練を修了する必要がある。
オーストラリアは、技術・継続教育(TAFE)大学または民間登録研修機関(RTO)で訓練を受けた専門看護師のための豊富な国家カリキュラムを設けている。准看護師とレジスタード・ナースは移民局によって必要な職業分野として識別されており、レジスタード・ナースは常に供給不足であるが、これは専門分野に行くにつれて増加する。
1986年に国じゅうで次々と産業争議が起こり、ビクトリア州の看護師5000人が18日間のストライキを行った時に最高潮に達した。病院はストライキ中の人達から非常勤職員を雇うことで機能を維持できたが、そのコスト増が看護師に有利な決着をもたらすこととなった。
脚注[脚注の使い方]