看護師
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

Lecturer Practitioner[注釈 6] - この看護師は国民保健サービス(NHS)と大学の双方で働く。通常は互いに週2-3日ずつ働く。大学では登録前の看護学生を養成し、専門課程では登録を済ませた看護師を教えることが多い。

専任講師(Lecturer) - この看護師は国民保健サービスに雇われてはいない。代わりに彼らは大学で一日中働き、教育と研究の両方を行う。

看護教育
レジスタード・ナースになるためには、看護助産評議会(NMC)に認定されたプログラムを修了しなければならない。現在これには大学の提供するコース範囲から取得可能な学位を修めることが含まれ、選択した専門課程で1級レジスタード・ナースとしての学位授与および職業登録の両方がもたらされる[注釈 7]。こうしたコースは、大学での理論学習と実技演習が半々に分けられている。コースは3年もしくは4年である。初年度が共通基礎プログラム(CFP)と通称されているもので、看護師全員に必要とされる基礎知識および技術を教える。CFPに含まれる技術には、意思疎通会話、観察、投薬、患者への個人ケア提供などがある。残りのプログラムは、学生が選択した看護部門(小児看護、精神衛生看護、学習障害看護)で固有の訓練となっている。2013年現在、看護助産評議会は英国で資格を有する新卒看護師全員に学位資格の保有を義務付けている[99]。ただし、ディプロマ保有または看護認定書を保有する看護師は(大学の部分講義を受講して、補充に足るだけの学位を取得することも可能だが)そのままでも英国で合法的に従事することができる。
登録後
最初の登録時以降、資格を有する看護師全員が自らの技能と知識を更新し続けることを期待されている。看護助産評議会は、登録後の教育と実務要件(PREP)の一環として3年ごとに最低35時間の教育を申し渡している[100]。また、資格取得後が多くの看護師にとって更なる臨床技能を身につける機会である。挿管採血静脈注射の薬物療法、男性への尿道カテーテルなどが最も一般的である。他にもいろいろ(二次救命処置など)あるが、こちらは一部の看護師が経験する。ディプロマでの資格を有する看護師の多くは、一旦勉強することで学位の資格を上積みすることを選択する。多くの看護師は、この上積みの一環として専門分野で学ぶ機会が増えるため、最初に学位取得するよりもこちらの選択肢を選ぶ。専門看護師(看護師コンサルタントやナース・プラクティショナーなど)や看護教員になるため、一部の看護師は学士号を超えた訓練も経験する。修士課程は様々な医療関連のトピックに存在し、一部の看護師は博士号ほか高位の学位授与に向けて勉強することを選択する。また、地区看護師 や巡回保健師も専門看護師と見なされ、これになるためには専門の研修を受けなければならない。新しい資格を有する地区看護師と巡回保健師は、全員がNurse Prescribers' Formulary(処方者にとって便利な、医薬品および配合の一覧表)から処方する訓練を受ける。これら看護師の多くはまた、独立処方および処方補助の訓練を受け、これが(2006年5月時点で)彼らに英国国民医薬品集でのほぼあらゆる薬物の処方を可能にしている。
アジア・オセアニア
日本詳細は「日本の看護師」を参照

日本における看護の歴史を遡ると、古くは聖徳太子四天王寺の建立(593年)に際して採用した「四箇院の制」のうち、悲田院が病者・老人のための福祉施設であり、施薬院と療病院が薬局・病院だったとされる[101]。鎌倉時代の僧良忠(1199-1287)が著した『看病用心鈔』には、病人看護の仕方が詳細に綴られている[102]。とはいえ江戸時代でも、自宅療養の病人を医師が往診して薬を処方する形が一般的であり、患者を入院させて治療するような病院施設はなく、病人の近親者が自宅で看護する程度だった(1722年の小石川養生所は例外)[103]。幕末から明治へと移行する戊辰戦争で各地に臨時の戦時病院が設置され、1868年に横浜軍陣病院で働いていたイギリス人医師ウィリアム・ウィリスが、傷病人を看護するために女性を雇い入れたのが日本初の職業看護師だとされている[104]

1877年に博愛社(後の日本赤十字社)が創設されると、1885年に日本初の看護教育機関である有志共立東京病院看護婦教育所(現:慈恵看護専門学校)が発足。その後各地で看護師養成機関が発足するも、法整備はまだ立ち遅れていた。全国一律の法規制については、1899年に「産婆規則」が発布されて最初に産婆の免許制度が確立した[105]。同様の資格制度が看護婦に対して導入されたのは1915年に「看護婦規則」が発布された時のことで[106]、大正時代にこの職業への法的な制度が確立された。

昭和に入って第二次世界大戦が終わると、戦時中からの悪辣な衛生状態や乏しい医療水準を改善するため、日本政府はGHQ指導のもと、患者の看護あるいは罹患の予防に関わる看護職の業務や免許を規定するための「保健婦助産婦看護婦法」を1948年に制定した[107]。以降この法律は、現代医療に即した看護職務や制度を規定する形へと幾度も改正されており[108]、例えば2001年には男女共同参画社会実現に向けて呼称を男女とも「看護師」に統一すると共に、同法も「保健師助産師看護師法」に改められた。

日本では看護職の改善に向けた取り組みが継続実施されており、1992年には看護師等の人材確保の促進に関する法律が成立した。同法では看護師養成に向けた新しい大学プログラムが作られ、教育の場が養成所から大学・大学院へと急速な転換を遂げるようになった。同プログラムによって日本の看護師の教育水準は向上しており、高度な専門知識と技術を持ち合わせる専門看護師(1996)や認定看護師(1997)なども生まれている[109]
種類
日本では、看護師准看護師保健師助産師の4種が看護職として認定されている。

看護師 - 国家資格の看護師試験に合格して厚生労働大臣の免許を交付された者をいう。欧米のレジスタード・ナースに相当するもので「正看護婦」とも呼ぶ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:135 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef