看護師
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ローマカトリック教会に根ざした伝統的な世話人(caretaker)がその職位から外されたため、看護は経験の浅い人が施すようになり、西洋の看護職は約200年におよぶ大きな停滞に瀕した[20]
19世紀フローレンス・ナイチンゲールは現代看護の発展における第一人者。彼女は、5つの環境要因(1.新鮮な空気、2.澄んだ水、3.効率的な排水、4.清潔さ、5.光、特に直射日光)と健康とを結びつけ、これら要因の不備が健康を損なったり病気をもたらすとした[21]。看護の役割と看護教育はどちらもナイチンゲールによって初めて定義された。

クリミア戦争時に、エレナ・パヴロヴナ (ロシア大公妃)は軍病院での年間奉仕を目的とした聖十字隊(Krestodvizhenskaya obshchina) に参加するよう女性達に呼び掛けた。28人の女性隊員による第一班が1854年11月初頭にクリミアに向かった[22]

フローレンス・ナイチンゲールは、このクリミア戦争を経て職業看護の基礎を築いた[23]。彼女の『看護覚え書(Notes on Nursing,1859)』が評判を呼ぶようになった。職業教育のナイチンゲールモデルは、継続的に運営する病院や医学部と繋がりのある最初の看護学校設立へと至り、1870年以降に欧州と北米で広く普及した[24]。またナイチンゲールは、統計データを活用する先駆者でもあった[25]

ナイチンゲールの提言は、同じクリミア戦争の前線で奉仕したメアリ・シーコール(ジャマイカ生まれの「女医」兼看護師)[26]の成果に基づいて構築された。シーコールは、19世紀のクリミア・中米・ジャマイカで負傷兵および病気に苦しんでいる人々を癒すために、衛生を実践したりハーブを用いた。彼女の祖先は18世紀のジャマイカ植民地 (Colony of Jamaica) で神霊治療家として大成功を収めており、そこにはシーコールの母、キューバ・コーンウォリス、グレース・ドンヌ(最も裕福なジャマイカの植民農園地主サイモン・テイラーの愛人にして女医)などが含まれる[27]

職業上の発展における他の重要な看護師は次のとおり。

アグネス・ハントは、シュロップシャー出身の最初の整形外科看護師であり、同州の整形外科病院ができた際に非常に貢献した。

アグネス・ジョーンズは、1865年にリバプールの診療所で看護師養成体制を確立した。

リンダ・リチャーズは、米国と日本で質の高い看護学校を設立した人物で、米国にて最初の公式な職業訓練を受けた看護師。

クララ・バートンは、先駆的なアメリカの教師、特許事務官、看護師、人道主義者、そしてアメリカ赤十字社の創設者。

マリアン・コープは、米国で最初の総合病院を幾つか開設運営した聖フランシスの修道女で、彼女の設けた清潔基準が米国における近代的な病院体系の発展に影響を与えた[28]

1863年の赤十字国際委員会創設後に登場するようになった赤十字標章は、看護師に雇用と職業化(フローレンス・ナイチンゲールは当初これに反対した)の機会を提供した[29]。貧民救済修道女会、慈悲修道女会、マリアの宣教者フランシスコ修道会などのカトリック叙階が、この時期に病院を建設して看護奉仕を行なった[要出典]。次いで、1836年にドイツで近代的な教会の女子慈善奉仕運動 (deaconess movement) が始まった[30]。欧州では半世紀経たぬうちに教会の女子慈善奉仕隊が5000以上存在していた[31]

近代軍隊における看護師の正式な使用は、19世紀後半に始まった。第一次ボーア戦争、エジプト戦役(1882)[32]スーダン戦役(1883)[33]にて看護師の戦地赴任が確認されている。
20世紀第一次世界大戦当時のオーストラリアの看護師募集ポスター

病院を拠点とする養成訓練は1900年代初頭に登場し、実務経験を重視するものとなった。ナイチンゲール様式の学校は無くなり始めた。病院と医師は、看護する女性すなわち看護婦を無償または安価な労働源だと見なしていた。雇用者、医師、教育者による看護師の搾取は当時珍しいことではなかった[34]

多くの看護師の戦地赴任が第一次世界大戦で確認されているが、第二次世界大戦期に専門職へと移行した。陸軍の看護役務に就くイギリスの看護師はあらゆる海外戦役の一環として存在していた[35]。他のどの職業よりも大勢の看護師が米国陸軍および海軍での奉仕を志願した[36][37]。ナチス軍は独自の看護師(Brown Nurse)を40,000 強保有していた[38]。20数名のドイツ赤十字看護師が戦火での英雄行為を理由に鉄十字を叙勲された[39]

この時期には大学および大学院における看護学位の発展が見られた。看護研究の進歩および団体や組織に対する要望は、専門機関や学術誌の多種多様な形成をもたらした。明確な学問分野としての看護の認知向上は、実践に向けた基礎理論を定義する必要性も伴うものとなった[40]

19世紀および20世紀初頭は、医師が男性の職業であったように、看護が女性の職業と考えられていた。20世紀後半に職場の男女機会均等への機運が高まる中、公的には看護がジェンダー中立の職業となったが、実際のところ男性看護師の割合は21世紀初頭における女性医師の割合をも大きく下回っている[41][42]
職業として患者を診察するインドネシアの看護師火傷を負った患者を処置する看護師。ジガンショールのPAIGC病院、1973年

看護実践の権限は、職業上の権利と責任ならびに公的説明責任のメカニズムを示す社会契約に基づいている。ほぼ全ての国で、看護実践は法律によって定義および管轄され、看護師になる手段は国家(または自治体)レベルで規制されている。

国際的な看護機関の目的は、その職業に対して資格、倫理規定、基準、能力を維持し、教育を継続しつつ、あらゆる人に一定以上の質を備えたケアを保証することにある[43]。職業看護師になるための教育行程は各国で大きく異なるが、その全てが看護の理論および実践の広範な勉学だけでなく臨床技術の鍛錬を含むものである。

看護師は、各個人の身体的、感情的、心理的ほか各種のニーズに基づいて、健康および病状のある全年齢かつ様々な文化的背景を持つ個人に対して包括的なケアを行う。看護師はそれら個人へのケアに際して、自然科学、社会科学、看護理論、科学技術を組み合わせていく。

看護職で働くにあたり、あらゆる看護師が実践範囲と教育に応じた資格を1つ以上持っている。例えば日本では正看護師と准看護師が協働するが、両者のケア実践条件や免許には違いがある。正看護師が「医師の指示のもと」各種ケアを行うのに対し、准看護師は「医師または看護師の指示のもと」同内容のケアを行うことになる(業務範囲に差はないが、自らの判断による看護業務ができない)[44]。資格に関しても、看護師は厚生労働大臣から免許を受けるが、准看護師は都道府県知事からの免許を受けることになる[44]

この違いは、両者の資格要件や取得までの履修時間にも表れている。日本で看護師として働くには、高校を卒業したのちに「大学または3年以上の看護系教育」を受けて、看護師国家試験に合格する必要がある。免許取得前の教育では、人間を幅広く理解する能力、根拠に基づき計画的に看護を実践する能力、他職種と連携・協働していく能力など、看護師の実務で求められる能力を培うための教育が行われる[45]。一方、准看護師になるための最終学歴は中学卒業以上であり、そこから「2年以上の看護系教育」を受けて、地方自治体(都道府県)が行う准看護師試験に合格する必要がある[44]

看護師は医師の助手ではない。ある特定の状況ではそれも当てはまるが、看護師は患者の世話をしたり、他の看護師を補助することが多い[46]。 看護師はまた、医師が行う診断検査の手伝いをする。看護師は、ほとんど常に他の看護師と一緒に働いている。看護師は、要請された場合に救急処置や外傷治療にあたっている医師を補助する[47]
ジェンダー問題

雇用機会均等法にもかかわらず、多くの国で看護師は女性中心の職業であり続けている。WHOの2020年『State of the World's Nursing』によると、看護労働力の約90%が女性である[48]。例えば、カナダおよび米国では看護師の男女比率が約1:19であり[49][50]、この比率は世界中で見られる。


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