相模線
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さらに相模川の砂利採掘が禁止された1960年頃には貨物輸送も激減し、1971年度の収支係数は374と、関東地方国鉄線の中では鹿島線の634、木原線の459に次ぐ第3位の赤字路線であり、これは現在第三セクター化されている足尾線の361や真岡線の345よりも悪く、1968年(昭和43年)に「赤字83線」に選定され廃止対象とされた烏山線の265を遥かに下回っていた。このような経営状況にもかかわらず、相模線は1970年昭和45年)12月21日の日本国有鉄道諮問委員会報告書において一地方ローカル線としては破格の幹線系線区に区分され、これが翌年明るみに出ると、専門家の間ではこれを疑問視する声も聞かれた。相模線はこのように関東有数の赤字路線であったにもかかわらず、近隣の座間市にあった日産自動車座間工場生産された自動車を輸送する路線として、またベッドタウンの足として位置付けられ、国の資本が投下され続けた(とはいえ非電化であり、全線電化していた相模鉄道の現存路線との差も明らかだった)。このため、この事情を知る専門家からは「一部独占資本に奉仕する国鉄」と囁かれていた[8][11]

相模線は1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化でJR東日本の路線となり、1991年(平成3年)には全線が電化され、当線のために新製された当時では最新型の車両が投入された。電化によるスピードアップ、およびダイヤ改正による運行本数の増加(約1.5倍)、海老名駅の開業(1日乗車人数9千人前後)、横浜線への直通運転の復活などで利便性向上が図られ[注釈 2]、また京王相模原線の橋本駅乗り入れや沿線のベッドタウン化など周辺環境の変化もあって通勤通学での利用客が増加し、現在は通勤・通学路線として定着しているものの、東海道線や中央線とは異なり旅客流動が都心とは無関係のため、周辺他線と比較すれば圧倒的に乗客が少ない。
相模鉄道
開業前「相模鉄道株式会社発起趣意書」(大正6年)に掲載された計画路線図

1915年大正4年):相模軽便鉄道として会社設立が計画され、10月21日に最初の定款が作成される。当初の計画では、茅ケ崎 - 寒川 - 厚木 - 原当麻 - 久保沢(城山町)付近 - 相原を通る路線であった。

1916年(大正5年)6月26日:相模鉄道の発起人鳥越金之助(元帝国鉄道庁技師)ほか21名に対して茅ケ崎 - 相原間の軽便鉄道敷設免許が交付される[12]

1917年(大正6年)12月18日:相模鉄道の創立総会が高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎の伊藤里之助(当時の茅ヶ崎町長)宅にて開催。資本金は60万円、本社所在地は茅ヶ崎町茅ヶ崎5573-2に置かれた。

初代社長に日米富士自転車創業者で衆議院議員でもあった岡崎久次郎[13]が就任


1918年(大正7年)1月4日:相模鉄道株式会社の設立登記がされる。

1919年(大正8年)

7月10日:相模鉄道が日本鋼管との間に軌条約8km分の購入契約を結ぶ。

7月11日:国鉄茅ケ崎駅付近(茅ケ崎駅を出て左カーブの左側)に本社事務所と機関庫が完成。

7月19日:寒川 - 川寒川間の砂利採取支線の敷設許可がおりる。

7月22日:砂利採取、販売兼営認可がおりる。

当時は、手掘りにて砂利を採取し、鉄道開通以前であったため、狭い専用線を茅ヶ崎から敷設して、トロッコに積んで馬力で茅ヶ崎停車場に運搬し、ここから東海道線の貨車に積み替えて目的地まで運ぶというものであった[14]。敷設された専用線は、鉄道用地ではなく県道を借用していたとの記述もある。

11月10日:一期工事の土木工事の入札が行われる。

11月21日:香川駅停車場予定地付近にて軌道敷設起工式を開催。線路予定地から反対運動も起き、さらに鋼材が高騰し資金不足で会社設立から起工式まで2年もかかった。


1920年(大正9年)

1月10日:茅ケ崎駅への乗り入れ連絡が承認される。乗り入れ工事は鉄道院によって施工。

5月末:乗り入れ工事完成。工事期間中に茅ヶ崎停車場共同使用願及び連帯輸送開始願を鉄道院に提出。

7月:砂利の採取地を寒川村一之宮、宮山及び神田村田村(現在の平塚市田村)と決める。


1921年(大正10年)

5月29日:茅ケ崎駅 - 寒川駅間5.0kmにて試運転。貨車3両を連結して寒川駅 - 川寒川駅間試運転。開業に向け、鉄道省からテンダー式蒸気機関車4両、4輪客車2両、4輪無蓋車11両、4輪緩急車3両の計18両の払い下げを受けた(以上のように書かれた資料もあるが、当時の話では2両しか機関車がなかった〈1924年参照〉とされ、払い下げが記述通りに行われたのか、記憶違いかは不明)。

9月12日:鉄道係員服務規則、鉄道係員懲罰規定、旅客及び貨物運輸規則、貨物運賃及び料金規則、貨物営業マイル程、運賃割引準則、増運賃規則、列車運転時刻などの諸規則が認可される。

9月20日:開通を目前に岡崎久次郎をはじめ役員のほとんどが退任。草津軽便鉄道の別府藤馬[15]が代表取締役となる[16][17]


開業後

1921年(大正10年)
9月28日:相模鉄道線 茅ケ崎駅 - 川寒川駅間(4.0mi.≒6.44km)が開業[18]。香川駅・寒川駅・川寒川駅が開業。当時は28kgレールを使用していた。

1922年(大正11年)5月10日:砂利支線(貨物線・後の西寒川支線)寒川駅 - 四之宮駅間(1.2M≒1.93km)が開業。四之宮駅が開業[19]

1923年(大正12年)


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