相模総合補給廠
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9月30日 - 西側の一部敷地(約17ヘクタール)、およびその東端において南北に縦断する敷地(約2ヘクタール、鉄道道路用地となる予定)が日本へ返還された[3]


2015年

8月24日 - 0時45分頃から、連続的な爆発が発生。ボンベ等の圧力容器を保管してあった倉庫からの出火によるが、出火の原因は特定されていない(2016年11月2日現在)[16]


2017年

4月22日 - 一部返還地の南北に縦断する約2ヘクタールにおいて、南北道路供用開始。なお、この道路は2021年1月現在暫定整備であり、車道は従来からあるJR相模原駅北口ロータリーおよび総合相模更正病院前の道路とは繋がっておらず(病院前の道路とは緊急車両用として伸縮式のポールで仕切られた通路が有る)、南北道路南端に整備されたロータリーで折り返すようになっている。南北道路南端のロータリーと相模原駅北口ロータリーの歩道は繋がっており、歩行者と自転車は通り抜けができる。


2018年

3月26日 - 一部返還地の西側において、東西道路供用開始。


2020年

11月14日 - 一部返還地の北側にある共同使用区域において、相模原スポーツ・レクリエーションパークの一部を供用開始。開園したのは、全約10ヘクタールの内の「芝生広場」と「遊具広場」の計約2.9ヘクタール。


2021年

4月1日 - 相模原スポーツ・レクリエーションパークにおいて、人工芝グラウンドの供用開始。


米軍再編における影響について
指揮訓練センターの設置

アメリカ軍再編の一環として、アメリカ陸軍はキャンプ座間に第1軍団の新司令部を設置し、同時にアメリカ4軍の統合的指揮を行う戦闘司令部 (UEX) を設置することとなったが、その指揮訓練を行う、コンピューターシミュレーターを備えた指揮訓練センターが相模総合補給廠に設置される予定である。
一部敷地の返還

相模総合補給廠は相模原市街地を遮る構造になっており、市内交通の迂回を余儀なくされ渋滞が発生するなどしていた。そのため地元からかねてより返還要求が出されていたが、2006年2月、日米両政府は相模総合補給廠の敷地を日本へ一部返還し、補給廠を南北に縦断する道路を整備することで基本的に合意した[17]。2008年6月には、日米合同委員会にて施設の西側にあたる一部敷地(約17ヘクタール)[2]の日本への返還と、その北側に隣接する敷地(約35ヘクタール)[2]の日米共同利用、さらに「鉄道・道路用地」として両敷地の東端を南北に縦断する敷地(約2ヘクタール)の日本への返還が正式決定された[3][18]

相模総合補給廠を南北に縦断する約2ヘクタールの敷地では道路の建設が行われ、2017年4月より供用が開始された。これにより、東京都町田市から相模原駅へのアクセス性が大幅に改善することが期待され、2018年3月にはこの南北道路と向陽小学校方面を結ぶ東西道路も整備された。また、南北道路の地下において小田急電鉄多摩線の延伸計画も検討されている[3]

前述の約17ヘクタールの土地(一部敷地)については、2010年6月に2013年度末までに返還される見通しであると公表された[19]。この返還はJR横浜線相模原駅北口前に所在していた在日アメリカ陸軍の住宅用地を相模原住宅地区に統合することで実現したものであるため、条件として柵などの工事を行う必要があり、当初の予定より遅れたものの、2014年9月30日に返還が完了した[3]。相模原市では今回の返還地に公共施設および商業施設などを整備する基本計画を2014年6月に策定したが、具体的な整備計画についてはコンベンション・センターの建設[20]、市役所の移転[21]等の案が示されているものの、決定事項はない。

一方、西側の一部返還地北側は日米共同使用区域(約35ヘクタール)とし、2020年11月には共同使用区域南側の一部に相模原市の「相模原スポーツ・レクリエーションパーク」が整備された[22]
リニア中央新幹線の誘致構想

リニア中央新幹線の途中駅誘致に関して、神奈川県知事は橋本駅を候補地として正式表明しているものの、地元の一部にはJR相模原駅に隣接している相模総合補給廠跡地を挙げる者もいた[23]。その際、前記ルートがリニア駅までのアクセスとなるが、リニア中央新幹線を品川駅から相模原駅まで直進ルートで建設するためには、未返還部分の地下を横断せざるを得ないこの案に対しては、非現実的であるという見方もあった[23]

相模原市長は個人的意見として、リニア中央新幹線の途中駅の建設と、前述の小田急多摩線の延伸と合わせて一体として開発を行うことも検討していたが[24]、結局この構想は断念され、最終的にリニア中央新幹線の駅は橋本駅付近への設置で決着した。
鉄道の遺構

敷地に沿って走っているJR横浜線淵野辺駅より矢部駅近くまで横浜線に沿って北上した後、相模総合補給廠内へと乗り入れる専用線が敷設されていた。この6.1キロに及ぶ専用線にて、鉄道貨物による軍需物質の輸送が行われていたが1979年(昭和54年)10月1日に廃止。今では、淵野辺駅構内から矢部駅にかけて、住宅の敷地内に草に埋もれるように線路が残存している。

踏切跡


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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