多くが深海に見られるオキナエビスガイが分布し、真鶴町には北限近くに分布する石サンゴ類が、相模川の河口や三浦半島の砂質の干潟にはアカテガニもみられる。
観音崎自然博物館(横須賀市)や筑波大学がそれぞれ調査したところ、ラッパウニやチャイロマルハタといった熱帯・亜熱帯の海洋生物が多くみられるようになっており、黒潮大蛇行などによる移動だけでなく、地球温暖化に伴い相模湾が生息海域の北限・東限に入ってきた可能性が指摘されている[15]。
黒潮と、深海からの栄養素が、多種多様な生態系を作り上げており、貴重な回遊性の生物も多い。その中には、大型のジンベエザメやオニイトマキエイなども含まれ、貴重なメガマウスやミツクリザメも記録されている。
ウミガメも日本列島に分布する5種類の中でヒメウミガメ以外の4種類が確認されており、アカウミガメが最もよく見られる他に、アオウミガメ、タイマイ、オサガメと絶滅危惧種も含めて記録されている[16]。
鯨類も数多く見られ、大型の種類ではマッコウクジラ[17]やツチクジラ[18]、小型のイルカ類ではゴンドウクジラ類やハナゴンドウ、ハンドウイルカ、マイルカ、カマイルカなどが頻繁に観察され、貴重なアカボウクジラ科も「ストランディング(座礁)」が多数報告されている[19][20]。一方で、クジラと船舶との衝突という懸念材料も存在しており[21]、東海汽船などの各運航船は航行時に警戒している[18][20]。
なお、江戸時代以降、三浦半島ではニホンアシカを対象としたアシカ猟[13]や、対象としていたクジラの種類は不明だが、東京湾・鋸南町やいわき市や金華山[22]と同様に、捕鯨を嫌ったりタブーとする風潮が強かった東日本では珍しく組織的な古式捕鯨が行われていた[12][23]。しかし乱獲の結果、20年程度で捕獲数が激減したとされている[24]。また、静岡県伊東市の富戸ではイルカ漁が行われ、昭和時代には年間1万頭以上のスジイルカやマダライルカなどが水揚げされたが、捕獲数の減少から現在は散発的にしか行われておらず、近年はホエールウォッチング・バードウォッチングが行われている[25]。
しかし、ヒゲクジラ類[26]やウバザメ[27][28]など、現在では見られる機会が少ない生物種も多いのも事実であり、ニホンアシカは現在では絶滅種に指定されている[13]。上記のイルカ猟の対象種だったスジイルカやマダライルカも、前者は目撃が大きく減少し、後者は1990年代以降は確認されていない[19]。 明治時代初めに来日した御雇外国人の研究者は、相模湾に、東京に比較的近い海棲生物採集の好適地を見いだした。フランツ・ヒルゲンドルフは1877年に江ノ島で「生きている化石」オキナエビスを見つけてこの海域に着目し、ホッスガイ
研究史