相模原市
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相模原市は、神奈川県内では横浜市川崎市についで第3位の人口規模を擁しており、2007年3月11日の2町の編入合併により人口は70万人を超え、全国の市で第18位である。

相模原市が市制施行されたのは1954年だが、第二次世界大戦後に純粋に市制施行された都市の中では最も人口が多い[注釈 1]。2010年3月末までの政令指定都市移行と、首都圏サミットへの参加を目指していたが、2009年10月2日に原口一博総務大臣が必要な作業に入るよう指示し、その後、10月23日の閣議で相模原市を2010年4月1日を以て政令指定都市への昇格が決定された[1]

道府県庁所在地では5番目の人口、戦後に市制施行された都市では初の政令指定都市の誕生となり、2009年4月1日に移行した岡山市に次ぐ19番目の政令指定都市(緑区中央区南区の3区制)へ移行した。これにより、神奈川県は全国で唯一の3つの政令指定都市を持つ都道府県となる。2021年時点の人口は鳥取県島根県高知県徳島県を上回る72万人。

1930年代以降、相模陸軍造兵廠陸軍士官学校など日本陸軍の施設が、地価が安く広大な土地が確保できる相模原市に移転し、太平洋戦争にかけて軍都として発展してきた。戦後は陸軍の施設は相模総合補給廠などの在日アメリカ軍の施設に転換され、今なお残っている。そのうち一部は返還され、公園や学校、JAXA相模原キャンパスなどに再開発された。また、戦後は内陸工業都市や東京都心からの近さから東京のベッドタウン・住宅都市としての性格も持っている。

経済面や鉄道・道路などの地理上、県内他市よりも東京都、特に多摩地域とのつながりが強く、その中でも町田市八王子市とは生活圏・経済圏を共有しているほか、総務省の「多様な広域連携促進事業」にもこれら2市と連携した取り組みが採択されている[2]。また、首都圏南西部の核として国から位置づけられている(首都圏業務核都市指定都市)。市では首都圏南西部をリードする広域交流拠点都市となるべく、相模原駅北部の相模総合補給廠の一部返還地域に「さがみはら新都心」の形成を目指している[3]。しかし、東京の副都心がある新宿駅まで電車で35-40分程度(相模大野駅より小田急小田原線快速急行あるいは橋本駅より京王相模原線経由京王線特急の場合)であり、産業構造の転換により市内の大型工場の撤退が相次いだことで、東京のベッドタウン衛星都市としての面が一層強まっており、政令指定都市の中では業務機能の集中は弱いのが現状である。2015年における東京都への通勤・通学者の割合は24.6%であり、いわゆる「神奈川都民(相模原都民)」が多い。昼夜間人口比率は88と政令指定都市でありながら、東京のベッドタウンとしての側面が強いため、100を下回っている[4]

業務機能の集積が弱いため、中心市街地法で都市核が複数(橋本相模大野)認められている都市である。橋本・相模大野はそれぞれ市の北部・南部の商業・交通の拠点地域としての性格を持つ。当市以外で複数の都市核が認められているのは静岡市福岡県北九州市熊本市の3市のみである。また、旧市域は橋本を中心とした北部地区(相模原北警察署管内)、相模原駅付近・中央地区を中心とした中部地区(相模原警察署管内)、相模大野を中心とした南部地区(相模原南警察署管内)の概ね3地区に分けられている。

橋本駅周辺(相模原市緑区)にリニア中央新幹線(2027年開通予定)の途中駅(神奈川県駅(仮称))の設置が予定されている。
地理旧津久井郡編入前の市域のランドサット衛星写真

2006年3月の合併以前の旧相模原市域は、隣接する東京都町田市との経済的・地理的・文化的関わりが深く、共に業務核都市に一つの都市として指定されていた。近年、東京都の新宿駅へ旧市域南部の相模大野駅から30分程、旧市域北部の橋本駅から40分程で行けるその交通の利便性から、東京のベッドタウンとして人口が増加している。2015年度の東京都へ通勤・通学する15歳以上就業者・通学者の割合は24.6%であり、いわゆる「神奈川都民(相模原都民)」が多い。

市内には相模原公園相模原麻溝公園や相模原北公園をはじめとした大規模な公園が点在していることや、比較的自然と触れ合える環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に大学が多いことや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄とする場合が多く、更に多数の大学を抱える東京都八王子市への交通が便利なため、学生の街としての顔も併せ持つ。また、宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所相模原キャンパス(開所時は文部省宇宙科学研究所)があり、日本の宇宙科学の研究拠点として知られる。

編入した旧津久井郡4町のうち、旧城山町と旧津久井町橋本駅を最寄り駅として利用しており、国道413号津久井街道)や路線バス(神奈中バス)を介して合併以前の相模原市域との結びつきが強いのに対し、旧相模湖町と旧藤野町は相模原市中心部よりも、JR中央本線国道20号甲州街道)を介して隣接する八王子市(東京都)や上野原市山梨県)との結びつきの方が強い。
地形

相模川左岸の相模原台地上に位置する東部の平坦な旧相模原市域(中央区・南区および緑区東部)と、南の丹沢山地と北の高尾山陣馬山などの間に広がる山地を相模川などが刻み、河岸段丘上にわずかな平坦面が散在する西部の津久井地域(旧津久井郡、緑区の大半)とに分けることができる。人口は東部に集中している。ただし、津久井地域のうち旧城山町東部は地形的に連続する旧相模原市域と合わせて相模原台地の一部として理解するのが適当である。直下には伊勢原断層が所在している。新昭和橋付近(厚木市上依知)から望む相模原台地
相模原台地

相模野台地とも呼ばれる。相模川が作った扇状地隆起して形成された洪積台地である。西側の相模川に沿って、気候変動や海水面の変化によって形成された河岸段丘が発達している。

大きく3段に分けられる段丘面のうちでは上段(相模原面)が最も広く、旧市域の半分以上を占め、旧城山町東部の大半もこの段丘面上に広がる。緑区川尻(旧城山町)の川尻八幡宮付近の標高約180mを最高点に南東へ向かって徐々に高度を下げ、緑区橋本六丁目の神明大神宮付近で約140m、南区東大沼二丁目の大沼神社付近で約100m、南区相南三丁目の東海大学付属相模高等学校付近で約85mとなり、南の大和市や座間市に続く。段丘面上は平坦ではあるが水に乏しく、利用が進まずに原野が広がっていた。相模原または相模野とは、主にこの原野について呼んだものである。


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