目の見えない音楽家は、アメリカのポピュラー音楽に大きく貢献をした。ゴスペルをレコーディングした最初期のピアニストであるアリゾナ・ドレインズや、アル・ヒブラー、レイ・チャールズは目が見えなかったが、ソウルミュージックの創出に重要な役割を果たした[21][22][23]。史上最高のジャズピアニストとして挙げられるアート・テイタムも同じく、ほとんど目が見えなかった[24]。スティーヴィー・ワンダーも生まれつき目が見えなかったが、30曲以上でアメリカのトップ10に入るヒットを記録し、2019年時点で25のグラミー賞を受賞している[25]。
一方、目の見えない黒人の音楽家たちは、今でもカントリー・ブルースと最も強く関係している。最初に成功した男性カントリー・ブルース演奏家であるブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめ、ブラインド・ウィリー・マクテル、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、ソニー・テリー、ブラインド・ボーイ・フラー、ブラインド・ブレイク、レヴァランド・ゲイリー・デイビスなど、多くのカントリー・ブルースマンはほとんど目が見えなかった。目の見えないカントリー・ブルースマンの姿は象徴的だったため、目の見えるジャズギタリストのエディ・ラングが、ロニー・ジョンソンとブルースのレコードを録音するため黒人の仮名を決めようとしたときに、ラングは当然のごとくブラインド・ウィリー・ダンに決めた[26]。 イタリアのテノール・ポップス歌手、アンドレア・ボチェッリは先天性緑内障を患っており、12歳の時、サッカー時の事故によって悪化し失明した[27]。のちにクラシック音楽史上、最高の売り上げを記録した歌手になった[28][29][30][31]。 2009年、日本の辻井伸行(当時20歳)は、主要な国際コンクールの一つである第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにおいて、視覚障害を持つピアニストとしては初めての優勝をおさめた(同時に、同コンクールのために書かれた新曲の最も優れた演奏に対して授与される「ビヴァリー・テイラー・スミス賞」も受賞している)[32]。予選では、ショパンの「12の練習曲 作品10」を全て演奏した。生まれつき目が見えなかった辻井は、複雑なクラシックピアノを独自の方法で習得し上達していった[33]。辻井のピアノ演奏の動画はインターネット上で公開され、コンクールでの優勝は世界的な評判を巻き起こした。コンクールの翌年の2010年の時点で、辻井のディスコグラフィには10枚のCDがあり、なかには10万枚以上を売り上げているものもあった[34]。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者として、辻井は世界中でコンサートを開催し続けている[35]。
クラシック音楽
脚注^ Taesch, Richard. “Quick Facts - Braille Music, Music Technology
^ “Music Library