益子直美
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イトーヨーカドー入り後は競技を楽しむことができずに悩むことが多く、「早く引退したい」「優勝という結果を出せば引退を許される」とプレーしていたほどだった[21][22]。23歳の時に日立を降して優勝を決めた直後に監督に引退を申し出たが、全日本選出などを理由に何度も拒絶され、以降は渋々続けている状態が続き、2年が経過して引退が叶った。
現役時代は美人アスリートとして人気が高く、2017年にテレビ朝日系『こんなところにあるあるが。土曜・あるある晩餐会』に大林素子とともに出演した際に大林が「益子さんは退場の時に警備員がいるじゃないですか。うちのチーム(日立)はいなくて」「(ファンが)全部『イトーヨーカドーだ!』って行っちゃう」「顔と人気は勝てないので実力だけ勝とう」と当時を語っていた[23]。
過去に歌手としてCDを発売したことがある。当時はTBSテレビ『ニュースの森』に出演していて、番組のエンディングテーマ曲[要出典]になった。
『ねるとん紅鯨団』に出演、お笑いコンビのメンバーに「このお姉ちゃんがいい」と腕を掴まれ告白されたが断り、そして「ほなね」と捨て台詞を吐き走り去った事がある。これがきっかけとなりお笑いコンビは知名度が上がったという。[要出典]
左右の眼球を別々に動かすことができる。[要出典]
スパイクの決定率を上げるにはどうすれば良いか悩んだ末、「ボールとコートの開いている場所を同時に見る」ことが目的だった。地道な努力により獲得した能力だったが、実際にはスパイクする際にボールに焦点が合わず生かすことができなかった。
趣味は自転車[24]とガーデニング[25]。
球歴・受賞歴
所属チーム履歴
葛飾区立金町中学校→共栄学園高等学校→イトーヨーカドー(1985-1992年)
全日本代表としての主な国際大会出場歴
世界選手権 - 1986年、1990年
ワールドカップ - 1989年
受賞歴
1986年 - 第19回日本リーグ 新人賞
1990年 - 第23回日本リーグ ベスト6
バレーボール通算記録
通算スパイク決定本数 1937本
通算スパイク得点 623点
通算スパイク打数 4573本
通算スパイク決定率 42.4%(1937本/4573本)
通算得点 812点
著書
いつもハートはノーメイク(日本文化出版) ISBN 4890840125
マスコナオミ丸裸(ケイエスエス、2002年7月) ISBN 4877095780
バランスボールビューティ(マガジンハウス、2005年9月) ISBN 4838716052
写真集
Semplice?益子直美写真集(ケイエスエス) ISBN 4877093664
Rhapsody?益子直美写真集(ケイエスエス) ISBN 4877094806
la vacanza?益子直美写真集(ケイエスエス) ISBN 4877095470
写真集はいずれも選手引退後に撮影・発売されたもので、上記の3タイトルのみである。
映像作品
Rhapsody [DVD・VHS] (ケイエスエス)
映画
ドッジGO!GO!(2002年) - 小出里香役
音楽
シングル
「Victory ?戦う勇者たちへ?」 作詞:石川優子/作曲:石川優子/編曲:岩本正樹(1994年デビュー曲)
c/w「だって日曜日」 作詞:石川優子/作曲:石川優子/編曲:岩本正樹
メディア出演
テレビ
バレーボール大会中継(解説者として出演→最近は試合解説をせずスタジオでの解説が多い)[26][27][28]
トップランナー(NHK、1997年?2001年) - 大江千里と司会。2006年、当時の司会本上まなみが出産のため降板したことで、はなとともに司会代理として一時的に復帰した。
いのちの響(TBSテレビ)
バンクーバーパラリンピック中継(NHK) - スタジオ司会
遠くへ行きたい(日本テレビ)
レディス4(テレビ東京) - ゲスト
新感覚ゲーム クエスタ(NHK総合) - ゲスト
ロンドンパラリンピック中継(NHK) - スタジオゲスト
日本ほのぼの散歩(BS11)- 小宮悦子、藤吉久美子らと交互に旅人
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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