皇帝
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同論文によると、ソビエト連邦崩壊からの「ソビエト後」(ポストソビエト “постсоветская”)的なロシアでは[89]1991年?1992年君主主義者や帝位請求者らが新興エリートたちと交友した[90][12][注 9]。(新興財閥(オリガルヒ)も参照。) その後、ロマノフ家(キリロヴィチ家)における一部の集団が政権に接近し、政治と経済の再結合(統制経済)、ロマノフ朝の記念日などの帝国的な権威化、ロシア正教会の活発化などが進んだ[91]。2014?2015年では、ウクライナとの紛争クリミア併合に関して、国民と政治勢力が動員された[12]。2016年では、皇帝制の復活を政府だけでなく一般市民も議論するようになり、君主たちに関するプロパガンダ的な記念碑がロシアの諸都市に置かれるようになった[12]

マシュー・ブラックバーンの学術論文(2020年)では、皇帝制と反民主主義との関連が研究されている[13][14]。ブラックバーンは「想像の国家」(“imagined nation”)という観点から、都市部のロシア人が国家や指導者の政治的形態をどう捉えているかを研究した[13]。研究手法は、ロシアの3つの都市における約100件の聞き込み(インタビュー)調査とその分析である[13]。回答者たちの中には、国家が非民主化を通して「より『思いやりがある』上に『効果的』な統治様式」になることを称賛する傾向があった[92][注 10]。その「統治様式」には、指導者に最高権力(主権)を委任して物事を解決してもらうという考えが伴っている[14]。ある回答者によると、「ロシア人は彼〔プーチン〕を皇帝として見ている」のであり、ロシア人という本質的な君主主義者らは西側的な民主主義を持てないのだと言う[93][注 11]

ブラックバーンの論文いわくロシアには、想像上の「親プーチン」社会を支えている以下の三本柱があると考えられる[13]
あらゆる権力を大統領の手に『委任する』ことが、国家と社会を規律し形作る最善の方法であるという信念」[13]

「ロシアの『国民性』への否定的な見解に並置される、『本物の男』として入念に製作されたプーチンのイメージの受容」[13]

「『救世主らの政府』が正常性をもたらし、『一度滅びた』国を救済するという親プーチン神話内面化[13]

ここには「内面的なオリエンタリズム」(“internal orientalism”)も関わっている[13]。「東方三博士(the Wise Men of the Orient)」、「救い主(キリスト)」、および「救世主ハリストス大聖堂」も参照
前近代ロシア(モスクワ大公国─ロシア帝国)

15世紀に北東ルーシの統一を進めつつあったモスクワ大公国イヴァン3世は、それまでビザンツ皇帝に対して用いられていた称号「ツァーリ」を自称し始めた。


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