キリスト教圏における「唯一の神、唯一の皇帝」という理念は、キリスト教がローマ帝国主義と融合し国教化していった歴史から大きく影響されている[11][注 2]。ロシアでは1990年代初期以降、皇帝制の復興を目指す運動やプロパガンダが活発化しており[12]、大統領が皇帝(ツァーリ)になることを望む人々が都市部で増加している[13][14][注 3]。現代まで在位が続くイスラーム系君主号「スルタン Sultan」は、権威・専制的意味があり、「皇帝 Emperor」とも訳される[15][16]。「皇帝」(スルタン)の復権を目指す運動は、イスラーム帝国主義(新オスマン帝国主義)と同調している[17]。日本では「皇帝」と「天皇」が併用されていたが、1936年(昭和11年)には「天皇」に統一された[18](現代英語での「天皇」は“emperor”[19]、“Emperor of Japan”[20]、“tenno”等[21])。
概要「皇帝制」および「帝国」も参照
「王の中の王」としての皇帝は、王権の範囲が共同体や部族、氏族連合を越える帝国と結びついており、国際関係を帝国の秩序に組み込む観念と不可分と言える[22]。「帝国主義」という言葉の語源は「皇帝国家(インペリウム imperium)」であり[23]、中西治の学術論文によれば、インペリアリズム(帝国主義)は19世紀末頃まで「プラスのシンボル」だった[24]。インペリアリズムの日本語訳は国家や訳者によって政治的に異なり[25]、「帝国主義」[26][27]・「帝政」[26]・「帝制」[27]・「皇帝制」[28]・「皇帝制度」などと訳されている[29]。"imperialistは「帝国主義者」・「皇帝支持者」・「帝政主義者」など[30][26]。
「王」に対して皇帝は、いくつもの異民族を包括する普遍的な国家の首長である[31]。皇帝は本来、一つの部族・民族の首長としての王より上位の、普遍的支配者と考えられた[7]。