吉田孝は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかったことが、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けたことにつながったとしている[39]。
最高敬語詳細は「最高敬語」を参照
御写真
写真。旧字体では「御寫眞」。官衙(役所・官庁)、学校等に下賜された天皇・皇后の写真ではなく、それ以前の天皇皇后である明治天皇・昭憲皇太后、大正天皇・貞明皇后、昭和天皇・香淳皇后の写真をいう。また、各皇族の場合にも用いる。戦前、宮内省(現在の宮内庁)では「御寫眞」と発表していたが、巷間の「御真影」(ごしんえい)という名称も使用可である。
御影
天皇・皇后の写真。「ぎょえい」とよむ。1910年(明治43年)以降、文部省(中央省庁再編後の文部科学省)の調査委員会で定め各学校に発布した。
御尊影、御尊像、御肖像
天皇、皇后、皇太后の写真。主として、新聞・雑誌に奉載したものをいう。
自尊敬語
天皇が一人称を使うときは、第二次世界大戦直後までは「朕(ちん)」を使っていた。戦後は「私(わたし、わたくし)」を使用している。
皇室会議詳細は「皇室会議」を参照
皇室会議は、日本の皇室に関する重要な事項を合議する国の機関である。皇室典範第28条以下に定められる。
以下の重要事項について、皇室会議の「議を経る」または「議に拠る」こととされ、諮問機関とは一線を画する。 皇室会議議員氏名身分生年月日(年齢)備考 天皇および皇后、皇太子その他の皇族の護衛、皇居および御所の警衛、その他皇宮警察に関する事務をつかさどる[50]機関として、皇宮警察本部[51](こうぐうけいさつほんぶ、英:Imperial Guard Headquarters)が置かれる。警察庁の附属機関[50]で、本部所在地は東京都千代田区千代田1番3号。 本部長は、皇宮警視監の階級の皇宮護衛官であるが、慣例により内閣府事務官である宮内庁職員にも併任される。 本部の紋章は五三桐[注 6]である。桐紋は菊花紋章と並んで古来から皇室の象徴とされてきた。 皇居のうち、宮殿および皇居東御苑等の区域を担当する坂下護衛署、御所・宮中三殿等の区域を担当する吹上護衛署、赤坂御用地(赤坂御所(旧東宮御所)・各宮邸等)および常盤松御用邸(常陸宮邸)の区域を担当する赤坂護衛署が設置されている。東京以外では、京都府には京都御所・京都仙洞御所・京都大宮御所・桂離宮・修学院離宮および正倉院(奈良市)の区域を担当する京都護衛署を置き、神奈川県の葉山御用邸、栃木県の那須御用邸、御料牧場、静岡県の須崎御用邸、奈良県の正倉院には、皇宮護衛官派出所が置かれている[52][53]。
皇位継承の順序変更(皇室典範第3条)
立后と皇族男子(親王、王)の婚姻(同第10条)
皇族の身分の離脱(同第11条・第13条・第14条):皇族女子の結婚による皇籍離脱(同第12条)は除く
摂政の設置・廃止(同第16条・第20条)
摂政の順序の変更(同第18条)
議員
皇嗣文仁親王皇族 (1965-11-30) 1965年11月30日(58歳)
正仁親王妃華子皇族 (1940-07-19) 1940年7月19日(83歳)
額賀福志郎衆議院議長 (1944-01-11) 1944年1月11日(80歳)
海江田万里衆議院副議長 (1949-02-26) 1949年2月26日(75歳)
尾辻秀久参議院議長 (1940-10-02) 1940年10月2日(83歳)
長浜博行参議院副議長 (1958-10-20) 1958年10月20日(65歳)
岸田文雄内閣総理大臣 (1957-07-29) 1957年7月29日(66歳)議長
西村泰彦宮内庁長官 (1955-06-29) 1955年6月29日(68歳)
戸倉三郎最高裁判所長官 (1954-08-11) 1954年8月11日(69歳)
深山卓也最高裁判所判事 (1954-09-02) 1954年9月2日(69歳)
2023年(令和5年)12月20日現在[49]
警備詳細は「皇宮警察本部」を参照
皇室系図詳細は「皇室の系図一覧」を参照