明治天皇および過去の天皇の巡行にならい、昭和天皇以降も全国への「巡幸」が行われている。主に式典の主賓としての列席および祝辞、弔辞、開会または閉会の「おことば」として挨拶をするなどが代表的な活動といえる。更に、医療・社会福祉施設・児童施設への訪問や戦没者などへの慰霊碑などへの参拝も積極的にこなしている。
一般参賀詳細は「一般参賀」を参照
新年の一般参賀は正月に皇居において天皇はじめ皇族が5回程度、長和殿に「お出まし」として姿を現し、国民の参賀を受ける。また、天皇誕生日にも同様、一般参賀が行われる。ちなみに、宮内庁の発表によれば、2008年(平成20年)度は過去最高の2万2655人が参賀した。この一般参賀の参列者の多くは日章旗の小旗を片手に振りながら拍手で出迎えるのが恒例となっている。
歌会始詳細は「歌会始」を参照
皇室の行事の一つで新年を賀するために宮中で行われる和歌の会。一定の題にしたがって国民からの詠進歌を募集している。
勤労奉仕詳細は「皇居勤労奉仕」を参照
宮内庁では、「勤労奉仕」(きんろうほうし)の名でボランティア活動として「国民の自主的な意思に基づく無給奉仕による皇居および赤坂御用地の清掃活動への参加」を受け付けている。 宮内庁では、事前の予約に基づき、皇居をはじめ京都御所、京都仙洞御所、桂離宮などの参観を許可している。また、日本人のみならず訪日外国人観光客にとっても人気のある観光スポットにもなっている。 宮内庁(くないちょう、英: Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つである。皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽・国璽を保管する内閣府の機関である。所在地は東京都千代田区千代田1番1(皇居内・坂下門の北側)。 なお、宮内庁はかつて総理府の外局であったが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく内閣府に置かれる独自の位置づけの機関とされている(内閣府設置法48条)[33]。官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めている。 1947年(昭和22年)には宮内府(くないふ)となり、さらに1949年(昭和24年)に宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり、宮内庁長官の下に宮内庁次長が置かれ、1官房3職2部と京都事務所が設置された。2001年(平成13年)1月6日には、中央省庁再編の一環として内閣府設置法が施行され、宮内庁は内閣府に置かれる機関となった。 皇宮警察本部(こうぐうけいさつほんぶ)は、皇室の警備を担う警察庁の機関。詳細は下記「警備」の節を参照。 宮内省(くないしょう、英: Ministry of the Imperial Household)は、皇室関連事務を司った省庁。戦後廃止され、職能は現在の宮内庁に引き継がれた。 かつて明治2年(1869年)7月8日、古代の太政官制にならって、いわゆる「二官八省」からなる政府が組織されたが、この際、かつての大宝令に規定された宮内省(くないしょう/みやのうちのつかさ)の名称のみを受け継ぐべく設置された。1943年(昭和18年)には、職員が総勢6000人を上回っていた。また、親任官という、天皇が叙任し、内閣総理大臣の副署を必要とした高級官僚が9人いた。戦後、連合国軍占領下で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要求により縮小され、職員は1500人まで削減された。これに伴い大部分の業務は他部局に移管された。所在地は、東京府東京市麹町区であった。
皇居参観
関係省庁
宮内庁詳細は「宮内庁」を参照宮内庁庁舎。昭和10年(1935年)に建築された庁舎3階は,昭和27年(1952年)に改装され,昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間、昭和天皇・香淳皇后の仮宮殿として使用された。皇太子明仁親王・同妃美智子(当時)の朝見の儀はここで執り行われた。
幹部
宮内庁長官
宮内庁次長
内部部局
長官官房
宮内庁病院
侍従職
上皇職
皇嗣職
式部職
書陵部
管理部
皇宮警察本部
宮内省(廃止)明治21年(1888年)の宮内省庁舎。ジョサイア・コンドル設計で関東大震災で焼失した。詳細は「宮内省#内閣制度以降:1885年(明治18年) - 1947年(昭和22年)」を参照